東條英機 遺書 |
仙頭 泰 東條英機元陸軍大将が東京都世田谷区用賀の自宅に米軍が乱入したさい自決をはかられましたが、その時に家の内部が荒らされました。そして色々なものが米軍によって持ち帰られました。その中に、東條英機元陸軍大将が前もって書いておられた遺書や重要な書類がありました。それらは、まだ米軍から日本に返していないと云われております。 其の遺書が、写しとして残っていました。これは東條元陸軍大将の弁護人をされた清瀬一郎法学博士が「写し」として残されていたものです。その内容は次の通りです。 「英米諸国人に告ぐ」 今や諸君は勝者たり、我邦は敗者たり。此の深刻なる事実は余固より之を認むるに吝ならず。然れども諸君の勝利は力の勝利にして、正理公道の勝利にあらず。余は今茲に諸君に向てその事実を歴挙するに遑 あらず。然れども諸君若し虚心坦懐公平なる眼孔を以て、最近の歴史的推移を観察せば、思半に過ぐるものあらん。我等は只だ微力の為に正理公道を蹂躙せらるるに到りたるを痛感するのみ。如何に戦争は手段を択まずと言ふも、原子爆弾を使用して、無辜の老若男女を幾万若くは十幾万を一時に鏖殺するを敢えてするが如きに至りては、余りにも暴虐 非道と謂 はざるを得ず。 若し這般の挙にして底止する所なくんば、世界は更に第三第四第五等の世界戦争を惹起、人類を絶滅するに到らざれば止まざるべし。 諸君須らく一大猛省し、自ら顧みて天地の大道に対し愧る所なきを努めよ。 「日本同胞国民諸君」 今は只だ承詔必謹あるのみ。不肖復た何をか謂はん。 但だ、大東亜戦争は彼より挑発せられたるものにして、我は国家生存、国民自衛の為、已むを得ず起ちたるのみ。この経緯は昭和十六年十二月八日宣戦の大詔に特筆大書せられ、炳乎として天日の如し。故に若し世界の公論が、戦争責任者を追求せんと欲せば、其の責任者は我に在らずして彼に在り、乃ち彼國人中にも亦往々斯く明言するものあり。不幸我は力足らずして彼に輸したるも、正理公義は儼として我に存し、人多ければ天に勝つ、天定まれば人を破る、是れ天道の常則たり。諸君須らく大国民の襟度を以て、天定る日を待たれんことを。日本は神國なり。永久不滅の国家なり。皇祖皇宗の神霊は畏くも照鑑を垂れ玉ふ。 諸君、請ふ自暴自棄するなく、喪神落胆するなく、皇国の運命を確信し精進努力を以て此の一大困阨を克服し、以て天日復明の時を待たれんことを。 「日本青年諸君に告ぐ 日本青年諸君、各位」 我が日本は神國なり。国家最後の望みは繋りて一に各位の頭上にあり。不肖は諸君が隠忍自重、百折撓まず気を養ひ、胆を練り、以て現下の時局に善処せんことを祈りて熄まず。 抑も皇国は不幸にして悲境の底に陥れり。然れども是れ衆寡強弱の問題にして、正義公道は始終一貫我に存すること毫も疑を容れず。 而して幾百万の同胞、此の戦争の為めに国家に殉じたるもの、必らず永へに其の英魂毅 魄は国家の鎮護とならん。殉国の烈志は、決して徒死せざるなり。諸君、ねがわくば、大和民族たるの自信と矜持とを確把し、日本三千年来、国史の指導に遵ひ、忠勇義烈なる先輩の遺躅を追ひ、以て皇運を無窮に扶翼し奉らんことを。 是れ実に不肖の最後の至願なり。惟ふに今後強者に跪随し、世好に曲従し、妄誕の邪説に阿附雷同するの徒、鮮からざるべし。然ども、諸君は日本男子の真骨頂を堅守せよ。 真骨頂とは何ぞ。忠君愛国の日本精神是れのみ。 (清瀬一郎書き写しのもの) |
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