戀  闕  の  心


 大調和の神示のうち「 皇恩に感謝せよ」しか實踐出來てゐない(尤も 天皇様に感謝申し上げることは 天皇様に慈しまれてゐる大御寶である全ての國民に感謝することでもあるのだが)私は  昭和天皇様 御在位六十年にあたつて感慨を纏めたことがある。この思ひは今も變つてゐないので、 戀闕( 天皇様を戀ひ慕う氣持)の心を披瀝させて戴くため當時の文を再録させて戴きます。

                 
中 島 一 光

 

   わが庭の そぞろありきも 楽しからず
               わざはひ多き 今の世思へば



昭和五十八年年頭の御製を拜した時、目頭が熱くなり溢れ出る涙を抑へやうが無かつた。

 近年、畏多くも「人間天皇」なる言葉が横行してゐるが、私は天皇様は神であると考へてゐる。

 (神と申し上げても西洋で言はれてゐるやうな「天地萬物を作られた全能なる神」ではなく、人間心を超越して天地の心と一體になられた御方と申し上げた方が適切であるかもしれないが。)

 總ての國民に対して御慈しみの心をもって接せられ、私心(わたくしごころ)を一切現はされることの無い 陛下が「わざはひ多き世」と御詠みになつた 御心を拜察する時、臣下たる我々の努力の至らなさに身の縮む思ひがし「申し譯無い」といふ氣持で胸が一杯になつた。

 俗に言ふ「災い」としては、「戰争」「天變地異」「不景氣」などが擧げられるが、四十年近くも平和が續き、大きな災害も無く、好景氣に醉つてゐる日本では、いはゆる「災ひ」とは全くと言つてよい程無縁であり、 陛下にこのやうな御歌を御詠みいただく程の事件は、何も考へられない。それにも拘はらず「わざはひ」とお詠みになられたのは、天變地異や不景氣などとは比較にならない大きな「災ひ」である「精神の荒癈」について深く 大御心を痛められたが故と拜察致して居ります。

 この荒癈の根本原因はマッカーサーが命じて作らせた占領基本法である現行憲法(と稱するもの)であるが、これに關し米國のみを責めるのは片手落ちと考へる。なぜならば、彼らは勇敢に戰つた日本將兵の精神的な支柱を取り除かない限り安心出來なかつたから「この様な擧に出た」のであらう。しかし、これは昭和二十七年の獨立を境に癈棄しても何等差し支への無い物であつたのに、時の政府は經濟の発展を計る爲に敢へて存續させ、憲法と稱したままで居たため「この改正に三分の二の賛成が必要となる」など、國民の大半が贊成しても改める事が出來ないと言ふおかしな結果となつたが、嚴密には正當な手續きを經て大日本帝國憲法を改正したものでは無いので「無効」であり憲法と稱してはゐるが實は眞赤な僞ものである。良き日本の傳統を破壞し、人々を唯物的にするこの僞ものの憲法が四十年間に流した害毒は計り知れない!

  一億二千万人の受けた打撃は、戰爭の何百倍にも及んでゐると考へる。更に問題なのは、この被害について氣付かない人が大部分であるといふ事である。極論するならば「この害毒を排除しない限り、日本は滅びてしまふ」ことも考へられる。もし他の國がこの様な状態に追込まれたら確實に滅びるであらうが、幸ひにして日本は
天皇様を中心とした歴史の長い國家であり、いかに末期的症状を呈さうとも一度(ひとたび) 天皇様の御下(おんもと)で國民が力を併せれば如何なる苦境も脱する事が出來ると思ふ。それは精神的にも物質的にも極限まで追込まれた戰後の復興の現動力となつた 御巡幸の際にも見られた事であり、 天皇様のおはします限り日本は常に新しく、また活氣に満ちみちてゐるのである。

 冒頭に掲げさせて戴いた 御製は畏多いことながら、天皇様御自らが「精神の復興の爲の 御巡幸」に旅立たれやうと御決意あそばされた御歌と拜察申しあげて居る。

 本來ならば、 天皇様が何も仰せられなくとも 御心を拜察して精神の荒癈から復興させるために全力を盡すのが臣下の勤めであるのに我々は何を爲して來たのであらうか。恥かしさと申し譯無さとで消え入りたいやうな氣持ちとなつた。しかし、何時までも恥入ってばかり居ても始まらない。

天皇様の「御巡幸」のお供をして、日本の精神的復興を計り、金剛不壞の實相を顯現させて、子孫に素晴らしい國としての日本を傳へるために努力する時は今である。

 今ここで我々が力を併せなかつたら、いくら傳統を誇る日本と言へども、滅びる事も考へらるのだ。もはや一刻の猶予もならない!

 「天皇陛下と日本」といふ問題について私見を述べる。私は「天皇陛下と日本」と言ふやうに、天皇様と日本とが並列的に存在されて居られるのでは無く、天皇様が日本であり、日本は 天皇様が居られるが故に、「日本」であると考へてゐる。

 御在位六十年の素晴らしさを壽ぐ氣持は、他の人に決して劣らないが、私は 御在位六十年の奉祝もさることながら「日本と共に二千六百年以上の長い年月を歩んで來られた 御歴代の天皇様」に、總ての祖先が抱いていた感謝の心をも併せて捧げる氣持をもつて、「彌榮(いやさか)!」と奉唱させて戴きたいと思つて居る。

 「天皇様」と申し上げる場合多くは 今上天皇様のことを申し上げるが、もっと大きな意味において 御歴代すべての 天皇様のことを申し上げ、我々だけでなく總ての祖先の崇敬と思慕の心を込めて申し上げることもある。今後はこの主旨に從ひ話を進めたいと思ふ。

 諸外國では、かつて王朝が總ての支配者であり、「富も權力も總て握り、力を失つた時には新しい支配者に取つて代はられる」といふ歴史を繰返し、前王朝のものを總て否定するところから次の王朝が始められ、歴史区分も何々(王朝)時代となつてゐる。

 一方、我が日本では政治權力は時々の有力者が握り、時には横暴な振舞ひをすることも有つたが、絶對的な權威は常に 天皇様に有り何人と言へども、越えることは出來なかつた。武力を有し、力により 天皇様を凌ぐことが出來ても、その様な事をすれば總ての人から見放され、權力を維持出來なくなってしまふので、如何なる場合でも「大義名分」を尊重し、少なくとも形の上では「 天皇様の御命令により賊を討つ」事になつて居り  勅命の無い限り勝手な行動は出來なかつた。

  もつとも、時の權力者は力に物を言はせて 天皇様に對して、勅命を強要したり、皇位の繼承に干渉したり、僭上な振舞ひをした者も居たが、御皇室を否定した者が現れた事は無かつた。 そして時々の權力者は滅び去り、移り變はつて行つたが、皇統は微動だにした事はなかつた。この歴史事實の重みこそ天皇様と國民の深い深い絆によるものであり、日本の日本たる所以でもある。

 鎌倉幕府江戸幕府等長い支配が續き、あたかも 御皇室が衰微したやうに見えた時代も有つたが、天皇様と國民の絆は途切れる事は無く續き、損得抜きに(時には自分の生命すらも捧げて)討幕運動に挺身した人々の力により、揺ぐ事の無いと思はれた幕府をも倒した事實は、他國では想像も出來ない事である。(外國の王朝は、外敵の侵入あるいは内部の腐敗により倒れるが、あくまでも末期的な症状を呈した場合であり、江戸幕府のやうに十分な餘力を殘して倒れる事は無い。)

 この 天皇様と國民の絆は何によつて生じたのであらうか。「飛鳥時代の少し前に大和朝廷が武力により日本を統一した」と説く左翼史觀による歴史書を見かけるが、武力によって支配した者は新しい武力を持った者に滅ぼされるであらうし、自己を正當化する爲の物語を作つても國民は信用しないので、彼らの言ふやうに「比較的新しい時期に武力により國を統一した」のであれば、この様な絆は絶對に生じないであらう。もし國民を武力によつて抑へたり、物語によつて心を變えさせる事が出來るならば、当然時の幕府もこれを實施した筈であるから討幕の機運も興らない筈であるのに天皇様に對する絆のみが強いのは、力による支配以上の何物かが有つた筈である。

 今のところ、歴史學的に証明することは困難であるかも知れないが、古事記日本書紀等の傳承を注意深く讀むことにより推察する事は可能である。

 目に見えるものとしては、 御歴代の天皇様の御人徳、御慈愛の御心が考へられるが、それ以上に重要な事は「 天津神であられる 天照大御神様の御神勅により、御歴代の天皇様が日本を統べて行かれる」ことに對して國民が何の疑問も持たなかつた事である。この事は、記紀等の神話が荒唐無稽な話ではなく、何等かの史實に基づいてゐると考へるべきである。史實の有無はさて置くとしても、私は國民の心の中に宿る 天皇様に對し奉る崇敬と思慕の情を大切にいたしたいと思つてゐる。
 
 國民がこの心を持つてゐるが故に「日本」であり、日本人なるが故に「この心を持つてゐる」のである。この心は、現在のやうに唯物論が支配してゐる時代でも失はれる事は無いと信じてゐるが、「誰も、何も教へなければ、次の世代に傳承されずに終つてしまふ」であらう。それ故に、少しでも「この心」を理解してゐる世代の人が、教へ導いて行かねばならぬと思つてゐる。

 話は變はるが、天皇様を崇敬申し上げてゐる人の中に「天皇様のお人柄(御人徳)が素晴らしいから崇敬申し上げる」と考へてゐる人を見かけることがある。御歴代の天皇様と國民の深い深い結び付きを考へたなら、御人徳を云々する以前に「有史以來連綿として續いて來られた皇統の素晴らしさ」に思ひを馳せて「素晴らしい皇統を繼承された 御方なるが故に御人徳も備えて居られる」といふ事に氣付いて戴きたいと思つてゐる。形は同じやうに見えるが、根本的な認識の点で大きな差異が有ると言ふことを一言申し添へておく。天皇様を崇敬申し上げてゐることは間違ひの無いことであっても、連綿と續く皇統の貴さに氣付かず、単なる皇室ファンであってはならない。 

 日本人の心を持つて「日本に天皇様がおはします所以」を考へ直してみる必要が有ると考へる。

 もう一度、祖先と共に「彌榮!」と奉唱させて戴いて筆を置く。

 

我らの愛国とは

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