谷口雅春先生の天皇信仰(上)

日本国体の理想の姿
日本建国の精神の実現が生長の家の使命

四 宮 正 貴

「学ぶ」誌14号から転載

 谷口雅春先生の天皇信仰・大日本真理国家論は、決して生長の家の周縁の教義ではなく、教義の中心であり根本である。今日のような国家的危機状況において、谷口雅春先生の天皇信仰・大日本真理国家論を恢弘することは、かたくなに特定の教義・教条に固執するといふ意味の「原理主義」では決してなく、文字通り現代の救済原理となる。
 そこで谷口雅春先生の天皇論・国家論について、わたくしが学ばせていただいた範囲内で少しく論じさせていただきたい。

『大調和の神示』
 「汝ら天地一切のものと和解せよ。…天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。…皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。…一切の人々に感謝せよ。天地の万物(全てのもの)に感謝せよ。その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を観、わが救を受けるであらう。」  (昭和六年九月二十七日夜神示)
 生長の家の根本の教義は 「皇恩に感謝すること」 にある。そして皇恩に感謝する念の中にこそ神の姿を観、救いを受けることができると示されてゐる。まさに天皇への感謝の念すなわち「天皇信仰」こそ、生長の家の教義の根幹である。

『生長の家の本尊』(『神の真義とその理解』昭和五十四年三月一日・所収)
 「…吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。…『幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神(アマテラスオオミカミ)、現人神(アラヒトガミ)トシテ天皇ヲ礼拝ス』…即ち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現としてそのまま現人神として拝し奉るのであります。」
 生長の家は天之御中主神・天照皇大御神そして現人神たる天皇を拝み奉る宗教である。まさに生長の家は「天皇信仰」を教義の根本として説くのである。そしてそれは、本来、建国以来の日本国民のあるべき姿なのである。

『久遠天上理想国実現の神示』(昭和七年五月二十七日神示)
 「『生長の家』とはタカアマハラのことである。|(タテ)に無限に生(の)びることを『生』と言ひ、一(ヨコ)に無限に長(の)びることを『長』と言ひ、|と―とが十字に交叉した中心を息叉(家)と言ふ、|の生命と―の生命とが交叉した中心が『家』である。…一切のものは中心に集り、中心に統一せられることによつて澄む即ち浄められるのである。…実相世界では既にひとつの極身(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となってゐるのである。実相の世界の『生長の家』が地上に顕(うつ)つて来る時には是非とも此の世界もーつの中心に統一せられねばならぬ。

 |(たて)と一(よこ)との十字の中心は光の放射を象徴(かたど)つたものであつてその中心を『光(ひ)の本』と言ふのである。…久遠皇統連綿と云ふことは偶然になることではない。形の世界が心の世界の影であることが解り、実相世界が久遠常住の世界であると云ふことが判れば久遠皇統連綿と云ふことは実相世界の久遠常住性が最も迷ひの念なしに形に顕れたのが日本国だと云ふことが解るのである。」

 これは、天皇中心の国体について深い真理が示された神示である。万葉集の代表的歌人であり、日本国の国体精神そして神聖君主日本天皇の御本質を高らかに うたひあげた柿本人麻呂は、日本天皇の神聖性と国家統治の御本質を 「やすみしし わが大君 高照らす日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと…」 (やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく…という意)と歌った。

 天武天皇の皇孫・軽皇子が、薨去された父君・草壁皇子を追慕するために、草壁皇子がよく狩猟をされた安騎野へ行幸された時に、柿本人麻呂が捧げた長歌の冒頭である。
 「高照らす 日の皇子」 は、「高く照つておられる日の神の皇子」 といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命(ににぎのみこと)を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になつて以来、邇邇藝命の御子孫であられる天皇が日本国の中心者として国を統治されてゐるといふ 「時間的事実」=タテの真理を歌つた言葉である。

 「やすみしし」 は 「大君」 の枕詞である。万葉仮名では「八隅知之」或は「安見知之」と書く。「しし」とは「統治される」意である。つまり「空間的に四方八方を隅々までにたいらけくやすらけく日本国をしろしめしたまふ」 といふ 「空間的事実」=ヨコの真理を歌った言葉である。

 「神示」に示されてゐる|(たて)に無限に生びる」とは、時間的に天之御中主神・天照皇大御神の霊統を継承されるといふことであり、「よこに無限に長びる」とは、四方八方をたひらけくやすらけく統治されるといふことである。

 つまり、この 「神示」 は、久遠皇統連綿たる古代以来の日本天皇のご本質および国家御統治の御本質が直感的に示されてゐると言へるのである。生長の家の教義・谷口雅春先生の国体論は、日本国体精神を継承したきはめて正統なる教義なのである。

『久遠天上理想国実現の神示』(の続き)
「…今の世界で実相世界の常住性を形に顕(うつ)し出してゐるのはたゞ日本の国ばかりである。生滅常なき現実世界が変じて久遠実相世界の常住性を顕現するには、常住性ある国がひろがりて常住性なき国を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬのである。十六菊と云ふのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の国ことごとくを中心に統一せることを象徴(かたちど)ったものである。」日本国は世界の中心となるべき理想国家であり、日本天皇の皇統連綿性が世界の中心たるの御資格・御使命を有したまふといふ教へである。ただし 「権力国家としての日本」 の主権や領土の拡大ではない。理念の日本・実相の日本つまり「久遠天上理想国・日本」 の世界的顕現である。天皇を祭祀主とする理想的世界国家の実現である。

 だから、『大和の国の神示』(昭和二十一年一月六日朝)には、
 「天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天(あめ)が下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云ふ意味の象徴的表現である。日本民族が世界を治めるのではなく、『天孫』 すなはち 『天の父のみこころ』 が全世界を治める時期が到ることである。…大日本天津日嗣(あまつひつぎ)スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。『大日本』すなはち『ひかりあまねき』、『天津』すなはち『天の父の』、『日嗣』すなはち『みこころを嗣ぎたまへる』、『スメラミコト』すなはち『天降(あも)りましたる帝王』と云ふ意味である。」
と示されてゐるのである。

『実相金剛身の神示』
 「実相世界にはたゞ一つの国があるだけである。その国は日の本と名附けられ、また高天原国(たかあまはら)と名附けられてゐる。唯ひとりの君がいまして高天原国を治(しろ)しめしてゐる。…実相世界が現象世界に迷ひなく映れば、現実世界もー君に統一せられ、悉くの国が大和合して一つの大日本国を顕現し、…その時期は近づいてゐる。」(昭和七年九月二日神示)

この神示の講義(『秘められたる神示』 所収)には、『限りなく日本を愛す』 の
「日本の皇位は、天祖の詔勅によつて連綿としてつゞくべき宇宙意志によつて定められてゐますから、”日本敗戦″といふやうな古今未曾有の大自壊作用が起つてさへも天皇制は廃止せられず、皇位の連綿性は保たれてゐるのであります。ここに不思議な天意と言はうか、神のみこゝろと言はうか、神聖なる実相世界の”み心の既に成れる”状態の投影として日本の皇位は永遠につゞくべきものであり、やがて此の皇位に第二の天孫降臨、基督教で言ふところのキリストの再臨、仏説で言ふ弥勒菩薩の下生(げしょう)があるべきであります。やがて出来る世界連邦統合の象徴として何か神聖なるもの、久遠なるものを求むれば、日本の皇位のほかにはない。その皇位の上に神孫が降臨し、キリストが再臨し、彌勒が下生し、それが世界連邦の中心象徴としての”神の王”となるとき、『黙示録』 に預言されたるキリスト再臨が成就するものであります」
といふ文章が引用されてゐる。

さらに谷口雅春先生は、
 「…時期が来ます。キリスト再臨の時が! 天皇に実相が天降りたまひて、人の王であつたところの 天皇が 王の王であるところの実相をあらはし給ふ時が!それは 今上天皇御在生中に来るか、それよりずつと後になるかは、イエスの云つた通り 『天の使も誰も知るものなし』 であります。」
とお説きになつてゐる。

 谷口雅春先生の天皇信仰の特質は、天皇は日本民族・日本国家の祭祀主・統治者であらせられるだけでなく、世界の統合の象徴・世界連邦の中心者として天皇を仰ぐところにある。

 谷口雅春先生は、日本国民の天皇崇拝の心=天皇信仰が徹底し揺るぎないものとなつた時、天皇の実相(現御神(あきつみかみ)としての天皇の御本質)が顕現すると論じてをられる。これを谷口雅春先生は 『キリストの再臨』と表現された。

 日本天皇は、常に自分を無にして神と合一する行事である祭祀を行はれて、国家・国民の平和と幸福を祈られてゐる。神と合一された天皇は、天津神の地上における顕現即ち現御神であらせられる。

 世界人類が天皇の神聖なる大御心に帰一し、奉る時に世界永久平和が実現すると谷口雅春先生はお説きになつてゐるのである。

 

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