靖国神社は日本の「公共宗教」だ

米国の判例にならえば首相の参拝に何の問題もない

佐藤和男
植草学園短期大学学長

 戦後、靖国神社をめぐって、国内的にも国際的にも紛議が多く生じていて、現在も同様である。その主たる原因は、被占領期に連合国軍が発したいわゆる神道指令、強制された憲法の政教分離規定、ならびに東京裁判の判決にあるようだ。

 古来、神道は日本民族の固有の宗教であり、日本国家は建国このかた、まず神祇を祭祀して政治を行うという祭政一致(政教一致)を、政治文化の伝統的特質としてきた。

 戦前(もしくは神道指令以前)の神道は、政教一致の国家神道と政教分離の宗派神道とに区別することが可能であった。国家神道においては、神を祀る主体は共同体で、公共的に祭儀が斎行されたが、個人の安心や魂の救いを内容とする宗派神道では、本質的に個人が独りで内面的に行う祈りが主眼とされた。

 敗戦後に占領軍によって伝統的政教関係を混乱・破壊せしめられたわが國の状況を目にして「民族の自殺的行為を強いられた」と嘆いている識者は、すべての国家の根底に宗教があることを知り、神道こそ日本国家の根底をなす宗教であることを痛切に認識すればこそ、日本の戦後体制が自国の存立の根底を壊滅しつつあることを憂憤せざるをえない。

 このような状況を念頭に置いて、本稿では、いかなる問題意識においてであれ靖国神社を論ずる場合に、とりわけ現在の事態の是正・救済の方途を講ずる場合に考慮すべき(普通に看過されやすい)法的問題点を検討したい。

 A級戦犯は「無実の罪」の犠牲者である
まず初めに指摘しておかなければならないのは、東京裁判(極東国際軍事裁判所による日本の重要戦争犯罪人[いわゆるA級戦犯]の裁判)が「日本は侵攻戦争(war of
aggression)を遂行した」と判示したことである。

 わが國ではaggression(アグレッション)は「侵略」と訳されることが多く、東京裁判の判決は日本が侵略戦争をしたと断定していると考えている人が非常に多い。しかしこれは間違いであり、アグレッションは「挑発を受けないのに行う攻撃」(unprovoked attack)ないし「初発的敵対行為」(any first act of enmity [or hostility])を意味していて、第一義的に「攻撃」を示している。

 日本語としての「侵略」は一般に「正当な理由がないのに力ずくで他国に入り込んで、領土や財物を奪い取ること」を意味していて、「略奪」の含蓄が強い。筆者は、アグレッションの訳語としては「侵攻」のほうがより正確であると考えて、この語を用いている。

 最近では、外務省やマスコミの関係者で筆者に同調される方が増えている。もっとも、対外関係を顧慮してのことか、訳語改訂の動きは顕在化していない。

 東京裁判では、国際法で以前から認められていた「通例の戦争犯罪」(交戦法規違反)のほかに、より重大なものとして新たに「平和に対する罪」と「人道に対する罪」が訴追の対象とされた。訴追の中心となった「平和に対する罪」は「侵攻戦争の計画・準備・開始・遂行のための共同謀議への参加」を構成要件としていて、東京裁判の法的核心をなす概念であった。つまり、「侵攻」(アグレッション)が東京裁判のキーワードであった。

 第二次世界大戦当時、戦争は国際法上の合法的制度とされ、国家の基本権としての戦争権(開戦権と交戦権)が認められており、自衛戦争と侵攻戦争とを区別しない無差別戦争観が一般的であった。

 東京裁判は、一九二八年のパリ不戦条約なるものを強引に拡大解釈するという現在までも世界の国際法学者を呆れさせている無理を通して、侵攻戦争が国際法上の犯罪になっていると独断し、日本が侵攻戦争を遂行したと勝手に断定したが、「侵攻」の国際法上の定義を被告弁護団より問われて、最後の判決に至るまで明確に答えることができず、判決文中この問題に触れた唯一の箇所で、日本の英・米・蘭に対する攻撃は「これら諸国の領土を占拠しようとする欲望を動機とする挑発を受けない攻撃であった。

 侵攻戦争の完全な定義を述べることがいかに困難であるにせよ、このよう動機によって行われた攻撃は、侵攻戦争と性格づけないわけにはいかない」と述べたが、これに対してマサチューセッツ大学のR・H・マイニア教授は、「連合国側は、侵攻が何であるかわからないのに、日本が侵攻したことだけはわかっていた」と。痛烈な皮肉をこめて批判している。

 国際連合総会の補助機関として一九四七年に設置された国際法委員会(諸国のすぐれた国際法学者により構成され、委員数は当初一五人、現在三四人)は、一九四九年の第一会期から「人類の平和と安全に対する罪についての法典草案」の作成のための作業を開始したが、そこで実質的に求められていたのは、東京裁判(ならびにそれに先だつニュルンベルク裁判)で訴追の中心となっていた「平和に対する罪」(侵攻戦争の計画・準備・開始・遂行− 欧米その他の諸国の国際法学者による否認論が厳しかった− を、いずれ新条約の締結によって明確に承認し確立することであった。

 国際法委員会(さらには侵攻の定義特別委員会など)の作業は、侵攻の国際法上の一般的な定義が確立されていない事実が大きな妨げとなって、はかばかしく進捗せず、ようやく一九七四年に「侵攻の定義」案を作成して、国連総会で採択する運びとなった。

 一九七四年十二月十四日に国連総会が採択した「侵攻の定義に関する決議」は、条約ではないので法的拘束力は有していない。同決議は、一般的には、一国が他国の主権、領土保全もしくは政治的独立を侵すかたちで武力を(とくに最初に)行使することを侵攻と定義していて、具体例として、一国の軍隊による他国の陸軍、海軍、もしくは空軍、または商船隊および航空隊に対する攻撃など若干の行為を、列挙(網羅的という意味ではなく)しているが、きわめて重要なのは、最終的には安全保障理事会という政治的機関が侵攻行為の存否を認定できるとしていることがある。

 安全保障理事会での議決に際して拒否権を発動できる常任理事国五カ國(米英仏露中)は、いずれも決して侵攻国と認定されないであろう。

 本年七月一日にハーグに設立された国際刑事裁判所は、集団殺害罪、人道に対する罪、戦争犯罪等々の国際法上の犯罪をおかした個人を審理・処罰することを目的としていて、同裁判所規程(一九九八年にローマ外交会議で採択され、締約国が六〇カ國に達するにおよんで発効)に列挙されている諸犯罪には、いずれも明確な定義が付せられているが、その中で「侵攻」のみは定義が与えられていない。

 これは、侵攻の定義をめぐって関係諸国間で厳しく意見が対立していることが原因である。つまり、二〇〇二年の現在においても、「侵攻」の厳密な法的定義は普遍的な効力を伴っては存在していない。

 これまでの検討から、大東亜戦争・東京裁判当時に「侵攻戦争」の遂行を構成要件とする「平和に対する罪」なるものに国際法上存在していなかったことが明白である。「平和に対する罪」を主たる理由として断罪された"A級戦犯"の人々は、冤罪(無実の罪)の犠牲者である。

 靖国神社が、東京裁判により絞首刑に処せられた人々を昭和殉難者としてお祀りしているのは至当である(松井石根大将も、虚構の罪状の故に違法な裁判によって処刑された犠牲者である9)。

     「公共宗教」には政教分離が適用されない

 平成九年四月二日、最高裁判所大法廷は、愛媛県玉串料訴訟上告審において、愛媛県が靖国神社と護国神社に対して玉串料などの名目で公金を支出したことは、憲法二〇條三項および八九條に違反するとの判決を言い渡したことは、いまだ記憶に新しい。

 靖国神社をめぐっては、戦後のある時期から、その例大祭に天皇や、首相以下の大臣が公人の資格で参拝することは違憲であるとか、外国の元首や自衛隊の参拝も許されないとか、戦前・戦中期には考えられもしなかったような紛議が生じているが、その原因は、占領軍が発した神道指令や、それを踏まえたかたちで占領軍から強制された憲法の政教分離規定によって、以前は宗教の枠内に入らなかった国家神道が、宗教の枠内に押しこめられて政教分離の対象とされたことにある。

 日本国憲法二〇條は政教分離を規定しているが、この規定はもともと米国憲法修正一條の、連邦議会は国教の樹立に関する法律を制定してはならない、また宗教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならないという規定(「連邦議会は」とあるが、政教分離は立法・行政・司法の三権および各州に等しく適用される原則である)をモデルにして、占領軍総司令部が起草したものと考えられている。

 米国における政教分離の実態を理解するために、連邦最高裁判所の若干の判例を検討してみたい。

 連邦最高裁は一九四七年に、國教樹立の禁止とは具体的にどのような内容なのかを、以下のごとく初めて詳細に説明する判決を下した(Everson v、Board of Education)。すなわち、「政府は、自ら教会を設立してはならない。あらゆる宗教に対して援助したり、あるいは、いずれか一つの宗教を優遇してはならない。教会への出席・欠席を強制したり、それに影響を与えることをしてはならない。

 宗教的な信仰の保持や告白、また教会への出席・欠席の故に人を罰してはならない。特定の宗教活動や宗教組織を支持するために公金を使用してはならない。宗教団体の問題に政府が介入してはならない。宗教団体が政府の専管事項に関することを許してはならない」。

 一九七〇年に連邦最高裁は右とは少し違ったかたちで、政教分離規定について説明する判決を言い渡した(Walz v、Tax Commission of New York)。その要旨は、法律制定に際しては、その法律の目的や主要な効果が、特定の宗教を促進したり、抑制したり、あるいは、結果として政府が宗教との過度のかかわり合いを持つようになってはならない、というものであった。

 興味深いのは、わが國でも最高裁判所が、津地鎮祭訴訟上告審の昭和五十二年(一九七七年)七月十三日の判決のなかで、右と同様の趣旨のことを述べ、国家機関の行為の目的または効果、あるいは宗教とのかかわり合いを重視する意向を示し、そのうえで「国家と宗教との完全な分離を実現することは不可能に近い。

 政教分離原則は、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを、全く許さないとするものではない。地鎮祭は宗教的起源を持つが、社会儀礼として世俗的な行事である」と判示したことである。最高裁は、米国の連邦最高裁の判決をモデルにして、政教分離の問題を処理しているように見られたのも、もっともである。

 次ぎに、比較的に新しく、注目に値する連邦最高裁の二判例に触れておきたい。
 米国の国会では、議事の開始に際して、専属で有料のキリスト教牧師が開会の祈祷を行うが、これが政教分離に違反しないかとして裁判沙汰になった。連邦最高裁は一九八三年に「永く続いた慣習」(long−standing custom)であることを理由に合憲と判断した(Marsh v、Chambers)。

 右の二つの判例から、米国では、重要な伝統的慣行と認められれば、宗教性を伴っているように見られても、政教分離の対象とはされないことが理解される。

 さらに注意して見るならば、米国には、政教分離規定が適用されない宗教分野、あえていえば政教一致が公認されている宗教分野が存在していることが認識される。これは、「公共宗教」(public religion、civil religion 公民宗教とも訳される)と呼ばれている。

 米国の宗教学者であるロバート・N・ベラー(カリフォルニア大学教授)は、「米国には、教会と並んで、教会とは明確に区分されて、高度に制度化された公共宗教が現実に存在している」と指摘し、公共宗教は「高度に世俗化され、かつ科学・技術志向を持つ現代民族国家に特有の一種の宗教であって、組織的宗教とは別個に独立して存在しているものの、そのシンボルの多くは既存の組織的宗教に依存している」と説明している。

 また、ロバート・ニスベットは、公共宗教について「国家の歴史の中に繰り返し認められる特定の公共的な価値および伝統い対する宗教的ないし準宗教的崇敬をいうのであって、過去の偉大な人物や出来事を讃える特別の祭典、儀式、信条、教義を特徴とする」と述べている。

 米国では、大統領就任式に際して新大統領は聖書(キリスト教聖典)に手を添えて宣誓を行い、大統領は一般教書の中で神に祈念し、戦没将兵追悼記念日にはユダヤ・キリスト教聖職者の主宰のもと慰霊祭が斎行されて、大統領も臨席し、すでに見たように、議会では専属で有給のキリスト教牧師が開会の祈祷を行い、裁判所では神への祈りあとに裁判手続きが開始され、政府が国費をもって買い上げて国有としているアーリントン国立墓地は、戦死者をも受け入れて、そこには無名戦士の墓も、殉難したケネディ大統領の墓もあり、国家的指導者の公的な葬儀は既成教会の様式に従って行われる。これらには、政教一致が認められる。

 再びベラーの言葉を借りるならば、「米国においても個人の宗教的な信念、礼拝および集会は、厳密に私事であるから、もちろん国家の干渉すべき領域ではないと考えられる。しかし、同時に米国には、大多数の米国民が参加する共通の宗教的行事がある。この宗教的な共通行事は、米国の制度の発展に決定的な役割を演じて、米国民の生活に一つの宗教的領域を提供して、一組の信念、象徴および祭儀に表現されている。そこで、これを公共宗教と名付ける」のである。

 十六〜十七世紀に欧州では、キリスト教の新旧両教間で、きわめて破壊的な闘争・戦乱が繰り広げられた結果、キリスト教信仰が稀薄化され、精神的な真空状態が生じたが、「祖国」(la patrie)という観念を中心にして国家を神聖視する思潮であった。

 人民は、国家のなかで自身の生命・身体・財産の安全が守られることを自覚し、詩歌や説論や各種行事において祖国を讃え、祖国に殉ずる栄光を讃えた。国家自体に神性を認めて、それを讃え、詩歌や儀礼や祭礼を通じて宗教的といえる強い崇敬を捧げることが、歴史的に具象化された公共宗教であった。
米国民の主流階層は、清教徒がニューイングランドに渡米して以来、米国と米国民は神から使命を授かっているとの信仰を持ち、キリスト教の信仰と重ね合わせて国家を崇敬する特質を示しており、旧約聖書の「出エジプト記」になぞらえて、自分たちは欧州の旧世界から新世界へといわば「新・出エジプト記」の歴史を刻んでいるとの想念を抱いている。

 十九世紀の著名な歴史家で、米国史の父といわれるジョージ・バンクロフトが、米国は植民地時代の最初から神の摂理の聖なる道具であって、その歴史全体がマニフェスト・デスティニイ(明白な天命)の実現過程であると唱えたことは、よく知られている。

 いずれにせよ、米国では、今日でも、国家に対する尊敬の念が宗教的といえる一種の信仰にまで高められていて、それは公共宗教(公民宗教)の名のもとに、政教分離規定の適用の除外例とされていることを、正確に理解しなければならない。

 被占領期の最初期の昭和二十年十二月十五日にマッカーサー総司令部が発した神道指令は、それまで政教一致が認められていた「国家神道」に厳しく政教分離を強制するものであった。右指令はいう
「本指令ノ中ニテ意味スル国家神道ナル用語ハ、日本政府ノ法令ニ依ッテ宗派神道或ハ教派神道ト区別セラレタル神道ノ一派、即チ国家神道乃至神社神道トシテ、一般ニ知ラレタル非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道ノ一派ヲ指スモノデアル」。

 右において明らかにされるのは、日本の国家神道は、米国の公共宗教に相当することである。マッカーサーは、自国では政教分離の対象とされていない公共宗教を、敗戦国日本については宗派神道(および外来宗教)と同様に政教分離の対象としたのである。

 この野蛮ともいえる宗教への干渉を、独立回復後の日本が甘受し続ける理由は毫も存在しない。日本の最高裁は、少なくとも公共宗教問題の扱いについては、米国連邦最高裁の態度を見習うべきである。

 平和条約十一條は国際法的に正しく解釈せよ

 最近驚かされたことの一つに、一部の政治家や評論家が、日本はサンフランシスコ平和条約十一條の中で東京裁判を受諾しているから、東京裁判を尊重する義務がある、と主張している事実がある。

 この問題は、十年も二十年も前に、否、平和条約発効直後の昭和二十七年当時に学界等ですでに充分に議論されていて、日本にはそのような義務のないことが明確に結論されているのであり、今ごろになって、あらためて再提起するだけの価値のあるものとは到底考えられない。


 筆者もかって「やすくに」(靖国神社社務所発行の社報、昭和六十二年三月一日号、四〜六ページ)に「日本は東京裁判史観により拘束されない」と題する一文を掲載していただき、やや詳しく平和条約十一條の「国際法的に正しい」解釈について論じたことがある(平成八年発行の拙監修『世界がさばく東京裁判』[日本会議事務総局]にも付録)。

 以下簡単に要点を述べる。
 十一條の全文を読めば、本條の目的が、いわゆるA級戦犯およびB・C級戦犯を裁いた連合国側の軍事法廷が日本人被告に言い渡した刑の執行を,講和成立以後、日本政府に引き受けさせるとともに、赦免・減刑・仮出獄の手続きを定めることにあったのは明白である。

 問題は「裁判を受諾する」という日本文であるが、等しく条約正文とされる英・仏・西語のjudgments、jugements、sentencias は、いずれも本来「判決」の意味に解釈されるべき用語である(たとえば、権威ある法律辞典 Black`s Law Dictionaryの説明からも明らか)。

 多くの人が正しく理解していないようであるが、東京裁判は、講和成立以前の法的「戦争状態」中に遂行された「戦争行為」であり一過性の「軍事行動」であって、厳正な司法権の行使によるものではない。米国についていえば、戦争遂行権(戦時の軍事裁判権を含む)は大統領の行使すべき行政権に属する。

 B・C級戦犯に関連していえば、交戦法規違反を戦争犯罪として審判する軍律法廷(軍事委員会)の法的根拠は、国内法上は憲法が定める統帥権に、国際法上は軍が行使する交戦権に存する。

 東京裁判等で被告とされたのは、日本国家(政府)ではなく個人であり、本来日本国家は軍事裁判とは当事者としての直接かかわりを持たないので、「刑を執行する」責任を負うためには、「判決」(量刑などの具体的内容)を受諾する必要がある。

 国際法では、講和(平和条約成立に伴う戦争の法的終了)がもたらす法的効果の一つとして「国際法上の大赦」(アムネスティ)の発動が、慣習法上確立されている。それは「戦争中に一方の交戦国の側に立って違法行為をおかしたすべての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」効果を意味している。

 十一條が置かれた目的は、講和により独立を回復した日本政府は、国際法に従って戦犯裁判判決の失効を確認して、すべての戦犯を釈放するに至るであろうと予想して、そのようなかたちでの「刑の執行の停止」を連合国側として阻止することにあった。

  いわゆる東京裁判史観なるきわめて粗雑で欺瞞的な歴史観(すでに随所に破綻が明瞭である)を、日本国に永く固持させるという不条理にして非合理な行動は、連合国自身に汚辱を加える行為以外の何ものでもなく、いかに戦勝に驕った連合国といえども、到底なし得るところではなかった。
 世界の国際法学界の大家たち、たとえば、米国のA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、豪州のD・H・N・ジョンソン、ドイツのG・レスなどが、いずれも右のごとき十一條の「国際法的に正しい」解釈を支持していることに、日本国民は留意すべきであろう。

                               (終わり) 

 

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