菅原裕の国体護持論について

仙 頭    泰

  ここに菅原裕著「東京裁判の正体」と題する国書刊行会発売・復刻版発行国際倫理調査会矢崎好夫の本があります。この本には東京裁判で東條英機大将の弁護人をされた清瀬一郎博士の序文もあり、当時、東京裁判に関係された者として「東京裁判の正確なる事実と、透徹した批判を、後世に伝える重大責任の負担」を感じておられました。

 その理由は、東京裁判の最中に毎日、流された法廷記事なるものは、半分ほどはウソであり、占領軍最高司令部が新聞を指導し、いかにも「日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりをしていたのだ」と、日本国内は勿論のこと、全世界のすみずみまで行き渡るようにしました。当時、日本としてはこれに対抗する手段は一切禁じられていました。

 東京裁判は昭和二十三年(1948)十一月に判決が下されてからも、裁判批判は一切禁じられていました。このような状態は昭和二十七年(1952)四月二十八日、日本が独立するまで続いたのであります。東京裁判で弁護人を引き受けた方々は、日本が独立し言論・著作の自由が得られた時こそ東京裁判の正体を明らかにし、正確に事実を報告し、この裁判の不当性を明確にし、是正することを決意され実行されたのであります。

 世間では、戦後六十年近くたった今日、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)で連合国に「無条件降伏をしたのだ」と、平気で云う政治家、教育者がいますが、これなど大きな間違いであります。ここで「東京裁判の正体」の著者・菅原裕氏の紹介をします。明治二十七年(1894)に長崎県に生まれ、明治大学法科卒・東京弁護士会会長。法曹政治連盟副理事長などを務められ、昭和五十四年九月に逝去されています。

 この菅原裕氏は東京裁判のときは、元陸軍大将荒木貞夫弁護人として法廷に臨み、東京裁判は「日本の指導者の懲罰を名とする直接復讐であり、公職追放は日本弱体化のための国内態勢の変革をねらったものである」ことを、喝破されています。東京裁判の間違いであったことは、マッカーサー元帥そのものが、「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」とアメリカ上院において証言して、根底から日本の侵略を否定しています。またトルーマン大統領に対しても「東京裁判は誤りであった」と報告をしています。

 「東京裁判の正体」なる本を読みますと、裁判に直接関係した弁護人の立場から色々な事実が記載されてあり、われわれが東京裁判の実態を知るのに大変有効です。日本の各政党が選挙公約を発表していますが、大切な国家像についてはいまだに、明確に見えてこないのです。おそらくどの政党も明確な国家観はないのでしょう。この様な状態での二大政党制などは、背骨が凍る思いです。

 憲法改正についても、戦後六十年になろうとするのにどの政党も明確な発言をしていないのです。現憲法はかつてマッカーサー憲法とよばれ、占領基本法であったこともわすれて、平和憲法だと叫ぶ政治家や学者がいまだにいます。東京裁判史観に侵されてこの束縛から脱出し得ない人種のいることは残念なことです。今回はこの本「東京裁判の正体」の中にある「日本の国体」に関するところを取り上げることにします。

 はじめに「国体」という語について、三省堂「廣辭林」新訂版(昭和12年十月一日新訂四百版)からその説明を抜粋します。「国体」とは、1、国家成立の状態。くにがら。2、国家の面目。「−を辱しむ」。3、国家を統治権の存在状態によりて別かつ区別、君主国体と貴族国体と共和国体とあり。また「国体擁護」とは、国家存立の基本たる国体を擁護して、其危害を防ぎ除くを目的とする。以上のように説明してあります。

 では、ここで菅原裕氏の「国体の護持」の項を抜粋紹介し、学習の資料とします。○印をつけて読みやすくしました。なおこの原稿は昭和二十八年(1953)十一月十二日に書きあげられていたものです。
                                           (仙 頭     泰)

                 「東京裁判の正体」 菅原 裕

               第8章  天皇問題


                      8項 国体の護持

○ 国民の中には敗戦の結果にこり、日本の国体の護持や、天皇親政や帝國憲法の運営の ごときは、明治天皇のような英邁な方でなければ期待できないと考えている者も相当あるよう であるが、著者はそうは考えない。著者は今回の敗戦を神意による民族的大試練と考えてい る。

○ 明治維新以来の日本の国力の膨脹は、必然的に先進国の圧迫を受けた。満州事変より  支那事変に及ぶ、猪突的打開策はいよいよ日本を革命か、敗戦かの窮地に追い込んだ。革 命はソ連に負けることであり、敗戦は米英に降伏することであった。

○ 試みに近衛公が計画した、ルーズベルト大統領との太平洋会談が実現したとして、その結 果はどうなったか。支那大陸からの全面撤兵は、ル大統領不動の鉄則であったから、これを 呑まずには、会談成立の見込みはなかった。

○ もしこれを呑めば、日本はどうなったであろうか。勝ち誇った百万の大軍が、一片の外交  交渉によって本国へ引き退けられた時の国内事情はどうなるか。右翼や軍人の不満の爆発 が、赤の思う壺にはまることはケレンスキー革命を顧みるまでもない。

○ 民族の歴史的興亡の跡を顧みる時、そこに不思議な偉大なる奔流の如き自然の力にひき ずられている事実を見逃すことができない。個人や集団の力はこの奔流を誘導したり部分的 に停止せしむることはできても、奔流自体をせき止めたり、消散せしめることはでき ない。

○ 人類のはかなき悲願、それは永遠に企てられまた努むべきであるが、自然にいどむ人間 の力の限度は無視できない。

○ わが国に於いても明治以来、いくたの先哲が、日本民族発展のために尊き不屈の健闘を 試みられた。しかし西洋文化を急激に取り入れた日本は、胃腸障害を起こして重態に陥った 。しかして昭和日本は所詮、革命か敗戦かの外科手術によって、行き詰まった軍その他の建 て直しをしなければならぬ羽目に陥っていたと考えるのほかはない。下剋上と相克摩擦とは  重大なる敗因といわれるが、これらはすべて人心の倦怠と軍その他諸政の行き詰まりから生 じた現象であった。しかして敗戦によらずしては、軍の建て直しをすることが不可能であること は世界史の教えるところである。

○ こうした悲しき運命が、日本民族発展途上の必然的段階とすれば、今上陛下(昭和天皇) はまさにこの試練時代集中時代に相応した、ご性格や御修養をお持ちになった御適格であっ たと申しあげざるを得ない。明治天皇ならばもちろんこうした窮地に立つ前にしかるべき方策 をめぐらされたとは思うが、ことここに至っては明治天皇の御性格としては、或い は玉砕ま  で持って行かれたかも知れない。著者は神意の広大無辺に感激するとともに陛下のお立場  に対し、衷心より恐懼を禁じ得ない。

○ 大東亜戦争は、国体擁護と、民族保全のために戦われた。しかして戦い敗れるや、国体  護持だけが唯一無二の降伏条件であった。陛下も、国体を護持し得たことを宣して、ポ宣言 受諾を命ぜられた。

○ 東京裁判の被告たちも、死刑を意とせず国体擁護を信条として、法廷論争をおこなった。 著者は「日本の国体」は、戦争の勝敗や、一時的占領等をはるかに超越した絶対性、永遠性 を有するものであることを、国民も為政者も改めて意識せられんことを祈る。

○ 近来、世界は急速に、君主制が衰えて、民主制の全盛期時代が来つつあるといわれてい る。しかし名ばかりの君主制がどうなろうと、また独裁国が民主主義の看板をかけようとも、  かけまいとも、問題ではない。

○ 要は唯物主義者同士で、資本主義と共産主義、自由主義と独裁主義とにわかれて、対立 抗争し、そのあおりを食らって、無力な君主国が潰れていった。わが日本も、占領の初期、占 領軍の指示で、憲法改正名義で、天皇統治制を廃止して、国民主権制に切り替えた。しかし それは占領中だけ効力を有する占領法規に、憲法を僭称せしめたもので、占領終了と同時 に失効しているのを、日本国民の無自覚なため、未だに其の儘この偽憲法を施行しているに 過ぎない。

○ 日本の天皇制は、世界の他の君主制よりも古くて、根が深い。そしてそれ自体立派な宗教 的および政治的の哲理をもっている。すなわち時間的には天壌無窮、場所的には八紘為宇 、そして三種の神器の象徴する智仁勇の円満具足により正しきを養う心をもって、勤労に、  出産育児にいそしみはげみ、修理固成、生成発展を、永久に続けて行くべき国家の中心的  存在が天皇である。

○ 換言すれば人類の何万年前より何万年後にわたる縦の生命(時間的)と、隣人・隣家・隣  国・という横の生命(空間的)とを結びあわせた大生命を表現し、神の理想を実現することを  使命とされる御人格であって、認識不足の左翼の連中や、外国人のいうような、封建的で、  好戦的で、独裁的な反動的存在ではない。

○ 西洋文明が行き詰まって、世界が権力や、実力や、金力の横行から抜け切らず、選挙制  度の宿命的欠陥を克服し得ず、依然として人が物から使われて、優勝劣敗、弱肉強食が続  けられ、ついには地球を破壊する核戦争もあえて辞せずとするとき、これを救い得る哲理は 、ただ天皇を中心とする日本民族伝統の奉仕主義ではあるまいか。

○ 天皇制こそは、権利主義者の平面的闘争より一段高いところにあり、次元を異にし、奉仕 主義の原理によって道義世界を建設し、真の世界平和を齎すべき使命を帯びるものではな  かろうか。

○ 日本人もイギリス国王制にあこがれたり、アメリカ民主主義にうつつを抜かすことをやめ、 もっと自信をもって、日本固有の皇室制度を尊重し、日本民族伝統の民本主義を高唱して、 原子力時代における新世界の建設に堂々たる発言をなすべきではあるまいか。

○ しかしいかなる立派な制度も宝石と同様、磨かなければ光は出ない。天皇ご自身はもちろ ん側近も、国民も、この天皇制の本質や、世界的使命を自覚、反省修養して、ますますこれ  を磨きあげて、暗黒世界の光明たらしめなければならぬ。

○ かくて初めて「神州ノ不滅ヲ信ジ」「国体ヲ護持シ」「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ」「万世 ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と、占領前の自由な御意思の下に宣せられた、終戦の大詔の意 義も、価値も定まる次第である。

○ なお日本においては、古来天皇の仁徳と国民の忠誠とが結びついて、国体の精華を発揚 している。ゆえに天皇国日本の民主主義は天皇を持たないアメリカの民主主義とは同 一で はない。天皇を知らぬ国民だけの国家は、はじめから組合国家であり信託国家である。

○ しかるに日本人は天皇が先ず天皇が先に生まれ、次いで国民が生まれて神ながら国を営 んできたという民族的信仰を持っている。現に日本国憲法も天皇と国民との二本建てとなっ  ている。ゆえに日本における民主主義の実現は、天皇の統治権を奪って、天皇と国民とを平 等にすることではなく、国民の輔弼方法を個人的より国民的に切り換えることである。

○ すなわち、三権分立で言えば、立法府も行政府も裁判所も、国民の直接間接の選挙によ  って選ばれた者が天皇の統治権を輔弼すればよいのである。すなわち輔弼機関の国民化が 、わが国の民主化であることを識らなければならぬ。

                                 (終わり)

 

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