日本人の非常識

梶山 茂
全国教育問題協議会副理事長
医学博士

 三十年ほど前のこと、ニューヨーク滞在中に、たまたまカラヤン氏とベルリン・フィルハーモニーの第一回アメリカ訪問による演奏会を聴く機会に恵まれた。同市の会場となったカーネギー・ホールの周辺は、ユダヤ系市民が大勢押しかけ「ナチ・ゴー・ホーム」のシュプレヒコールやデモのため、騎馬警官が出動するという騒ぎであったが、場内は立ち聴きまで入れて超満員。

 いよいよ演奏が始まる時刻となり、期待をこめた聴衆の耳に流れてきたのは、まず「アメリカの国歌」の荘重な調べであった。聴衆は一斉に起立した。ついで「西ドイツ国歌」の演奏、そして一息いれて、ベートーヴェンの第五シンフォニーをはじめ、予定の曲目が続いた。大変な好運に恵まれた当時の感動は今もなお忘れられない。

 それから二、三年が経過し、今度は同じ指揮者、楽団の演奏を福岡の電気ホールで聴けることになった。例によってまた冒頭に日本の国歌「君が代」の演奏が始まった。思わず立ち上がった私は、殆どの聴衆が座ったままでいるのに気づき、何とも言い様のない塊ずかしさを覚えた。それは日本人として相手の国民に対する面目のなさという強い意識が働いた故かも知れない。当日も同じ「第五」が演奏されたが、カーネギーホールで聴いた時とはかなり違い、何となく投げやりな演奏という印象を受けたのは、気のせいだけではなかったようである。

 このような日本人一般の非常識は、敗戦ボケと戦後の誤った教育に由来しているように思われる。戦後のわが國では、ドイツと違って占領軍の統治政策が功を奏し、一般国民の間に国家意識というものが薄くなってしまった。「愛国心」はタブーの如く、「國を守る」気概も一部の国民にしか理解されない。正規の学校教育の中で「伝統文化の尊重」とか「愛国心や防衛意識の涵養」をはかる教育が疎外されがちなわが國の現状は、国際常識からみても異常というほかはない。

 自由と民主主義の先進国アメリカでは、各州の教育法ないし学校法によって愛国教育を義務づけ、中には反共主義教育の強制を定めている州も見られる程である。またある州では共産党員ないしはシンパの執筆した教科書や、国家に不忠誠な扇動的な記述を含む教科書の使用禁止を定めている。これが独立国家の教育に対する常識的姿勢なのであり、社会主義諸国においては、例えばお隣の共産中国では、学生証の裏に学生守則が列記してあり、その第一、筆頭が「熱愛祖国」であるように更にきびしい強制された愛国教育が行われている。わが國の学校教育は、この常識からも外れていることになる。

 更に驚くべきことは、現行憲法に対する多くの政治家も含めて日本人一般の非常識ぶりである。いわゆる今の「平和憲法」は、日本の経済成長を進める上ではそれなりの役割を果たしてきたが、世界第二の経済大国といわれるようになった現在、なおこのままでいいように思うようでは世界に通用しなくなる。

 現憲法が、当時のGHQから押しつけられた英文草案を一部誤訳して出来たものであることは割に知られているようだが、その内容が前文冒頭から事実と違う記述となっており、また各条文の中にも大きな矛盾や誤り、欠陥等、幾多の是正すべき問題があることは案外気づかれていないのではないか。

 何れにしても、敗戦直後の混乱の中で生まれた現憲法が、今でもそのまま適応できると思うのは国際常識に反する。世界の国々では、時代の進歩、その時々の実情に合わせて憲法を改正するのが常識となっている。国内が安定して成熟した先進国ほど情勢の変化に敏感に対応し、第二次大戦後だけを見ても、主要国における改正回数最多國は三十七回、平均十五回も改正しているのである。

 わが國も、一日も早く現行憲法の矛盾や欠陥を改め、完全な独立国としての体裁を整えなければ、このままでは危ない。現に今の憲法によると、超法規以外では國を守れないし、国民生活の中にもまたさまざまな歪みを生じている。世界の常識が日本の常識となる日の一日も早からんことを祈ってやまない。 
                               (「正論」昭和60年6月号)

 

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