英霊に感謝

梶山 茂

長崎県西彼杵郡琴海町村松郷
大石共立病院 院長

 梶山茂先生は、谷口雅春先生ご夫妻が長崎総本山の總裁邸で生活をなさっておられた時、谷口雅春先生の主治医として、色々とお世話をされました。谷口輝子奥様の記事のなかには、梶山茂先生が心から谷口雅春先生を尊敬され、谷口雅春先生は日本の國のために大変大切な方ですから、何時までも元気でいて下さるようにと、谷口雅春先生の健康維持の為に色々と気配りをされて、新鮮な魚がとれたからといっては持参されたり、こまかいところまでお世話された様子が書かれてあります。そして、梶山茂先生の愛国の情熱に対しても讃歎しておられました。梶山茂先生は医師であると同時に、全国教育問題協議会副理事長として教育関係でも大活躍をしておられます。この度は「英霊に感謝」と題する文章を紹介いたします。(仙頭 泰)

                       英霊に感謝

 新年を迎える毎に、日本人は「初詣で」といって神社に参拝する風習がある。これは日本古来の伝統文化によるもので、いわゆる醇風美俗の一つとして認められている。神道では、昔から「八百万の神」と称して色々な所に神様をみるという考え方があり、これも日本人の心のおおらかさの現れであろう。 先年、当時の森首相が"日本は神の國"と発言、物議を醸したが、その時に「神々(複数)の國」と言えばよかったのではなかろうか。

 初詣での人々がそこまで考えているか否かわからないが、いづれにしても年頭の気持ちを新たにするという意味でよいことだと思う。ともかく、以前からの習慣として、私は元日には地元の長崎県護国神社に参拝することにしている。御祭神は「八百万の神」さまではなく、国家のために尊い身命を捧げられた「護国の英霊」をお祀りしてある。長崎の護国神社には日露戦争で戦死された軍神橘中佐(南高千々石町出身)ほか60810柱の英霊が合祀されている。

 全国には、中央の「靖国神社」をはじめ各都道府県に52の護国神社があり、いづれも國を護るために尊い犠牲となられた方々をおまつりしてある。戦後は占領軍による神道指令をはじめとした「対日骨抜き政策」と、日教組の長年に及んだ「反日亡国教育」の悪影響で、戦前、戦中のことはすべて否定するような風潮がみられるが、その故か靖国神社や護国神社に対する一般の認識にも「世界の常識」にそぐわないところが多く見られる。

 世界の国々では、過去200年近く戦争に巻き込まれなかったスウエ−デンや、戦後独立した新興国を除いて、どこの國でも祖国を護るために斃れた殉国者に敬意と感謝の念を捧げる場所がある。それはシュライン(寺院や神社)の形であったり、メモリアル(記念館や記念碑)であったり、国立墓地(例えばワシントンのアーリントン墓地ほか)であったり、たとい形は多様であっても、それらは国民としての魂の拠り所とも言うべき聖地になっている。(新興国にも例外あり。)
 昨年11月には、ロンドン市内に第二次大戦で戦死したオーストラリア軍人の記念碑が建立され、2万粁はなれた母国のハワード首相はじめ代表団が訪れて、その碑の前に感謝の誠心を捧げた。國のために散華した戦没者に追悼、感謝の意を表するのは、唯物史観の旧ソ連でも同じようで、死者を弔う聖地として首都モスクワをはじめ国内各地でその施設が見られる。これが世界の常識なのである。

 ところがわが國では敗戦を境に、占領軍や日教組勢力の洗脳によってすっかり様変わりしてしまい、靖国神社や護国神社に参拝することが何となく憚られるような意識を持つ人々が多くなっているのではなかろうか。

 長崎県護国神社では、例年元旦の祭祀をはじめ、春秋の例大祭や8月15日の慰霊祭などが行われるが、それらの行事に参列しても同業の先生方のお目にかかったのは昨年秋の大祭で、南高北有馬町の原口先生が最初であった。しかし同社の神官によると、長崎市内の先生方など時々参拝され、奉賛もして戴いている由、実は本県医師会副会長も長崎県護国神社奉賛会の副会長をつとめておられると聞いて大いに意を強くした様な次第である。

 神社に参拝することは、政教分離を定めた現憲法第20條第3項の「宗教的活動」ではなく、英霊に感謝、表敬する一般の儀礼的行為であることは、これ迄の判例や関係条文の文理解釈から見て極めて明白である。

 日本人古来のおおらかな心で、お國のために殉じられた地元ご出身の英霊各位に感謝の誠を捧げるために、より多くの先生方が護国神社を守り、支えて戴くよう、新年にあたり、心からお願い申し上げます。
                                 合掌
                (長崎県医師会報・第696号・平成16年1月)

 

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