イラクの戦後と日本の戦後

「谷口雅春先生を学ぶ」誌通算第10号「教えからみた日本と世界」欄から転載

 

 “華夷の弁″。吉田松陰の言葉である。国柄を知るには、彼我の違いを具(つぶさ)に知ること。イラク敗北後の悲惨な姿を目の当たりにして思ったことはまさにこの言葉であった。原爆を投下され、敗北としてはイラクの比ではない惨害を受けながらも、戦後の日本は決してイラクのような惨状、無秩序を呈することはなかった。その最も大きな遠い、それは国家の中心者、即ち昭和天皇様とフセイン大統領との差に帰すると言うほかは
ない。

 今度のイラク戦争で、「人間の盾」をもってその開戦を阻止しようと企てた者があった。それを言うなら、フセイン大統領は自らの権力をイラク国民の 「生命の盾」 によって守ろうとしたのであった。仄聞するところ、北朝鮮の金正日は 「人民は裏切る。しかし武器は裏切らない」として自らの権力を「核の盾」 で守ろうとしている由。結局、そこにあるのは、権力者、独裁者の凄まじいまでのエゴイズムである。そのことをよく国民、人民が知悉していたがゆえに、一旦、敗北となると、それまで押さえつけられていた感情があのように一気に噴出してしまうのである。

 それに比べ、日本はどうであったか。周知のように、昭和天皇様がご巡幸なさるところ、どこでも「万歳、万歳」 の歓呼の声がこだました。
「王冠は敗戦をくぐり抜けることができない」。それまでの世界の常識が、その瞬間、崩れ去ったのである。なぜ、この日本の国においては世界の常識が当てはまらなかったのか、それを知ることなしに、日本の本質、即ち国柄を語ることはできないのである。その重要性を一貫してお説き下さったのが、他ならぬ大聖師・谷口雅春先生であった。
 例えば、『国のいのち 人のいのち』 には、「絶対者″と 絶対権力の握有者″とは異なる」と題して次のように記されている。

 「『絶対者』というのと『絶対権力者』というのとは全然意味を異にするのである。『絶対者』というのは、『相対する相手がないもの』(対立を絶する者)のことである。絶対者とは『遍一切所』(例えば毘慮遮那如来)のことである。遍一切所の如来であるから、すべての人の中にいのちとなって宿ってい給うのである。天皇を“絶対者″とわたしが申上げるのはそういう意味に於いて、『天皇は絶対者』と説くのである。『絶対権力者』というのは、絶対(ならびなき)最高の権力をもって、彼が権力を揮うべき国民″とか 部下″とかいう相対する相手をもつもののことで あって絶対者″ではないのである。」(一六三頁)

 谷口雅春先生のおっしゃる 「いのちとなって宿ってい給う」 その実感があったからこそ、たとえ敗戦とな
ろうとも、国民は再び天皇様を中心として国家再建にあたろうと考えたのであった。その中心座がいささかも揺るがなかったからこそ、日本の敗戦復興は世界の奇蹟とまで称賛されたほど速やかに為されたのである。

 今、我々は、イラクにおいて敗戦した後の国造りがいかに困難を極めるものであるかを具に思い知らされている。そのことをとってみても、国の中心に天皇様をいただいていることの有り難さを心から思わずにはいられないのである。

 こうしたことをここで述べたのは他でもない。谷口雅春先生がこれほどまでに天皇国・日本の素晴しさをお説き下さったにもかかわらず、今日ではそれが生長の家教団内において些かも語られないばかりか、不当としか言いようのない扱いを受けて
いるからである。教区大会のテーマとして、ふさわしくないものの事例として 「国のいのち 人のいのち」があげられたことなどはその最たるものである。弟子たる者が、谷口雅春先生の御著書のタイトルを「ふさわしくない」 などとよくも言えたものである。ところが、それに対してどこからも疑義が呈せられない。そればかりか、今やそれが大手を振って罷り通るのである。これも結局は、谷口雅春先生のご存在を意識的に無視しているからとしか思えない。

 恩とは 「因を知る心」。創始者なくして今の教団はない。その大本を忘れることほど、忘恩的な態度はない。「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」。まず教え親に心から感謝するところから、信徒一人一人の自らの信仰姿勢を正すべきときと考える。

 

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