平成16年4月号

編集後記

四足の肉は環境負荷の問題から食さないと講話



雅宣氏は四足の肉は環境負荷の問題から食さないと講話しました。まったく軽薄そのもの。
私たちが生きて行くためにどうしても食物を食べなければならない。その時に発生する殺生される動植物の生命の問題、私たちの現象生命との関係、そう言う根本問題を説かず、ただ環境負荷のため!!こんな、現象しか見えていない人は、宗教の説話を説く資格はありません。


【編集後記】

▼谷口雅宣副総裁は四足は食さないそうで、ある教区の講習会では、四足を飼育するためには鶏よりも厖大な飼料を生産しなければならず、その生産のためにさらに大きな環境負荷が掛かる、と述べたそうです。どうやら主に環境問題から四足を食さないようですが、この話を受けて白鳩会の連合会長が、これからは四足の肉は買わずに鶏肉を買いますと高らかに挨拶の中で述べたそうです。

▼こんな軽薄なことを言う副総裁も連合会長も「生長の家」を知らざる者と断ずる他はありません。「殺生」という宗教上の根本問題を含む「食事」というものが、生長の家の教えにどれほど重大な意味を持っているか考えたこともないのでしょう。三十三ある神示のうち、最も早く天降った「生長の家の食事」の神示に何が述べられているか。肉食か菜食か、四足か二足かなど論外として、「殺生によって人間の生命を維持する必要悪だ」という常識をも超えて、「食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」と書かれているのです。

▼「儀式」とは「実相顕現の象徴行為」という意味です。「愛念を顕現する象徴行為」「感謝を顕現する象徴行為」が「食事」の真諦だということです。だから、聖書は「何を食い、何を飲まんと思い煩うなかれ」と説いたのです。しかし、現象世界は実相世界の投影ですから、実相顕現の程度に従い、「食事」は殺生を伴う肉食から自然と離れていくのです。「生長の家の食事」とは実相からのみ説かれるべきものなのです。
 




雅宣氏言動

護法の運動

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