「谷口雅宣氏」と「生長の家本部」の問題言動

 

このページは、谷口雅宣氏を個人的に攻撃し、貶めるために設けているのでばありません。 雅宣氏の神の子の実相は観じつつも、現象として現われている本来神の子にあらざる相に 嘆息し、谷口雅春先生の説かれた生長の家の真理が人類光明化のためにそのまま継承されて、本当に多くの人々を救い得る運動を、生長の家本部が展開して行ってもらう事を祈念して、その言動をホームページにても広くに明らかに致します。

雅宣氏が今のままの行動をとって行けば、生長の家は本来の理念を失い、心ある信徒は離脱し、教団としての態をなさなくなり、早晩崩壊してしまいます。それを心より悲しみと思います。谷口雅宣氏、及び、生長の家現執行部の、迷妄の速やかに晴れて、正常な生長の家の信仰、谷口雅春先生への素直な崇敬の念が、そのまま表わせるものであって頂きたいと祈念しながら、、、、、

ここに書く内容は、「学ぶ誌」に掲載されたものの中から抽出して取り上げています。

 

「学ぶ誌」平成17年8月号
 
     
「谷口雅春先生二十年祭、輝子先生十七年祭」に谷口貴康氏の臨席を許さず。   去る四月二十四日、「聖姉・谷口輝子先生十七年祭」が総本山奥津城にて執り行われたが谷口貴康氏は親族席から排除された。
六月十七日の「大聖師・谷口雅春先生二十年祭」も貴康氏の臨席は許されなかった。
貴康氏は谷口雅春先生・輝子先生のお孫さんで親族である。
 
    副総裁は、 貴康氏や荒地浩靖氏の子弟の本部奉職に、影で強権をもって阻んだ。
   
副総裁は本部職員の65歳定年制の突然の導入した。(排除の論理)
谷口雅春先生に惚れ込み、その恩義に生きようとする人を少しでも早く一掃したいのが本音。
誰がそうであるかのリストアップもできていると言うから凄い話しである。
 
 
「声」 読者投稿欄
  副総裁のブラジルでの行状
 


H16.7.31、8.1、講師及び光明実践委員の教修会での事。
雅宣氏は「谷口雅春氏は僕の祖父でありますが、彼は彼なりの説き方をされたが、やはり神ではないので、各所にその欠点を見い出しそれを訂正したり、廃刊にした書物もあります。私は私なりに現代人を救済する義務があるので不要なものは処理した。」と雅春先生の悪口と自我尊大を語った。
 
    純子講師は、主人の話が最高であり、現代の救世主と言わぬばかりの話しをした。
 
    ブラジル各地から、雅春先生の説かれた生長の家の広々とした人間神の子、宇宙普遍の真理を聞きに、数千キロの地点からやって来た人達の心は如何ばかりであったことだろう。
 
   

雅宣氏はブラジルの信徒が尊崇して已まない大聖師の悪口を言い、初日の講話で愛想を尽かされた。
 
 

『平和の先人に学ぶ』に見る谷口雅宣氏の誤謬

(平成十七年7月第一回教修会)
 
第一シンポジューム : 大東亜戦争は「侵略戦争であったかどうか」
 
妹尾壽夫氏は「日本は支那略した」と言い切った。これはこの教修会を演出した谷口雅宣氏が教団を”反日”に導こうとする思惑の結果である。
妹尾壽夫氏は「生長の家はもともと単なる民族主義や国家主義を信奉する団体ではない」と強調した。これは雅宣氏の「信仰による平和の道」その他で強調している事の追随にすぎない。しかし、生長の家は「国家主義」「民族主義」の運動なのである。
 
    第二シンポジューム : 法燈継承問題
 
黒河内潤氏:雅宣氏が「法燈を継承した」のは副総裁に就任した平成二年十一月二十一日であると言った。これは「副総裁」就任と「法燈継承」とを同一視する事で、法燈継承したという事を辻褄合わせしようとしているものである。これは「副総裁の法燈継承」のいい加減さを自らバクロしているものである。
  谷口雅宣氏は、谷口清超総裁が昭和六十年十月二十二日に「法燈継承祭」並びに「新総裁就任式」を行ったようには、それらを行っていない。「法燈継承祭」という儀式は生長の家教団にとって基本的に最も大事な儀式であるはずである。それを欠いている谷口雅宣氏は法燈の簒奪者なのである。
  「儀式なき地位の襲任」は、その正当性を疑われる。そのことを経ていない谷口雅宣氏は「法燈の面授」どころか「法燈の強奪・簒奪」であり、最も許されない罪を犯しているのである。
 
    第三シンポジューム : 「ヨハネの黙示録」の一節が「生命の実相」第一巻の扉に引用されている意味について
 
       
「学ぶ誌」平成17年7月号
 
     
谷口雅春先生以降の教団を狂わせたその淵源  

『五十年史』以降教団の歴史を語るものがない!
 
30年史、40年史、50年史と続いてから、それ以降年史が出ていない。 その理由は、出版できないのである。教団の歴史を振り返れば、今の運動のあり様が、生長の家本来の運動からいかに外れているかが分かるからである。
 
  

谷口貴康氏の総務解任の意味  
総本山総務・谷口貴康氏が去る三月末日をもって退職した。しかし、 これは定期改選に名を借りた明確な総務解任にほかならない。
当初、谷口貴康総務の任期は三月末日まであった。ところが貴康氏が宮城教区の教化部長への転出を拒み辞表を提出するや、急遽、総務の任期を一月一杯までとし、三月末日までの二ヶ月間、貴康氏は総本山在住の平職員として扱われることとなった。何という冷酷な仕打ちか。
 
    その後、おぞましい計略が顔を現わした。新年度の団体参拝練成会のプログラムから、何と教え祖である谷口雅春先生、輝子先生のビデオ上映が削られていた。
 
副総裁が教団の権力を一手に握ってからこれまでの様々な事象を点として、それを実線で結んで行けば、その延長線上に浮かび上がるのは、生長の家教団から谷口雅春先生の色を消すこと、まさにそれに尽きる。
 
    雅春先生、輝子先生を心から慕い、敬愛してやまない貴康氏が邪魔になった。任期半ばであろうと解任を急いだのはまさにその為なのだ。
 
    こうした”神意”とは程遠い”恣意”が堂々とまかり通っているのが、現教団の実態なのである。
編集後記  
山形の教化部長・岡正章氏は次の様なビラを信徒に配布しました。
「究極の教えを、『現象あり』 としての『原理主義・谷口雅春教』としてしまったら、『万教帰一』はなくなり世界平和への展望も出てこない。それが分からない人たちが、『谷口雅春先生を学ぶ会』などという組織をつくり、生長の家の信徒を惑わしている。」 「大東亜戦争もやはり侵略戦争であった。」と
 
    この様なセリフを吐く当人が、かつては日本国実相顕現を雅春先生の前で力説し、『理想世界』誌の編集長として愛国の月刊誌を編集していた。
岡正章氏だけでなく、吉田理事長も、磯部副理事長も、黒河内元理事長も雅春先生への痺れるような尊崇の念を持っていた。 その彼等は、その時の自分達を「現象人間谷口雅春先生を妄信する原理主義者」だったと自己批判するつもりだろうか。
 
    時が移り、雅宣氏が引退した暁には、今度は「原理主義・谷口雅宣教」と罵ることになることだろう。
これを正に変節漢と言うのだ。
 
    本誌はご在世中もご昇天後も一貫して谷口雅春先生を尊崇する。それは”雅春先生の教え”が「究極の教え」であり、雅春先生なくばその教えが現象世界に顕現しなかったと確信かるが故なのである。
 
       
「学ぶ誌」平成17年6月号
 
     
谷口雅春先生絶版聖典一覧  
昭和六十二年から谷口雅宣氏と側近・磯部和男・三浦晃太郎の三氏は日本教文社取締役会を壟断して「内容上の理由」なる身勝手な基準をもうけ、今日までに谷口雅春先生の聖典三十二点を絶版にしている。
 
平成15年の教修会では、参加者に配られた年表資料にわざわざ谷口雅春先生の絶版聖典の欄を設け、その欄には歴代の日本教文社社長の在任期間の欄が設けられていた。あたかも絶版は日本教文社社長の責任であったかのような印象を与える年表の作り方であった。
 
    平成十七年の全国代表者会議では、参加者からの絶版問題の質問に対して、磯部和男氏は絶版は日本教文社社長のもとでの取締役会の責任で行われたかの如き答弁を行った。多少でも教団内部の事情を知る者にとって、これらがいかに姑息な責任転嫁であり、卑劣な言い逃れであるかは明らかである。
 
編集後記
 
平成17年6月17日は谷口雅春先生ご昇天満二十年の節目の年です。しかし、原宿本部には特別な行事の予定もなく、例年通り心の籠もらない慰霊祭でお茶を濁すこととなるようです。
自宅療養中の谷口清超総裁に対しても、まるで緘口令が敷かれた如く遠慮勝ちに語られるのみです。
教え祖と、現法燈継承者への一片の尊崇と感謝の念も現わさないとは、ただ呆れ果てるしかありません。
 
    谷口雅宣氏は、教えを蔑ろにし、祖父・谷口雅春先生を信徒の目から遠ざけ、父・清超総裁から権限を奪いとり、姉、義兄、弟を追放し、さまざまに両親を悲しませ、楯突く幹部信徒に徹底的な弾圧を加えてきた。その不義、不忠と親不孝に鑑みるとき、雅宣氏の真の懺悔とは、父への一掬の涙ではなく、公けたる教えと、教え祖・谷口雅春先生と、生長の家を命がけで愛し保身を捨てて謙言してきた信徒への、全身全霊の大懺悔でなければならないのである。
 
    心ある信徒は、”真の生長の家護持”の宗教的情熱をもって、時には愛深き観世音菩薩の心を持ち、時には不動明王の憤怒の姿で教団実相顕現に邁進しなければなりません。
 
       
「学ぶ誌」平成17年5月号
 
     
平成十四年福島教区講習会
 副総裁Q&A
 道統の継承か、個人のトラウマか
  参加者からの質問状受け付けに対し、「個人の問題は避けて下さい」と言った。個人の悩みのような相談は避けて下さいというのだ。
 
    「ご幼少の頃の思い出も含めて、谷口雅春先生にどのようなご感想をおもちだすか」の質問に対し、「子供の頃、廊下を走ったりすると、『静かにしなさい』と大きい声で怒られた。」、そして「家族で畳に座って食事をしていたとき、汁をこぼしてしまつたことがあります。そのとき『汁を吸いなさい』と怒られました。その汁を吸ったときの埃臭い畳の臭いと味を、今までも忘れません。恐いおじいさんというイメージです。」と語った。
会場には失笑が起こっていた。
雅宣氏は、怒られたときの恨みを未だに抱いている。結局、彼にあるのは、戦後教育の洗脳と、子供の時のトラウマなんです。信徒の面前で、そのようなことを公言するとは、もう宗教家としてのリーダーシップは全くないと思いました。
 
   

雅宣氏は、環境問題が大切だと言うけれども、それは本当に、国家の運命と一体となって、今の日本に最も大切なことだと実感したのでしょうか。世間で何となくそう言われているから、という程度のものではないですか。日本国の実相顕現を使命とした生長の家が、日本の今の状態が分からなくなってきている。このことを強く反省してもらいたい。
 

神機発動の兆し!?   「週刊現代」H17.2.5、「週刊実話」H17.1.20、1.27、と競うようにね生長の家と谷口雅春先生の偉大な業績を、極めて公正、良心的に、堂々と掲載。「現代」は当初3、4頁の予定を5頁に拡大。思うに取材、記事作成につれ、雅春先生のスケールの大、高邁なる純度に惹かれ、自ずと拡大したものではないだろうか。
「実話」は「二世時代の新宗教を斬る!」から大きく離れて、誠に驚嘆すべき「生長の家と雅春先生の深奥に肉薄、機微に触れる」評伝を主体とする記事で、貴重な連載であった。筆者の正確な、真っ当な記述と合わせて感謝している。
 
「現代」は「生長の家 骨肉の争い」の見出しにもかかわらずドギツイ取り上げ方ではなく、淡白であった。(某氏曰く、「骨肉の争い」との指摘は性格でなく、雅宣氏一人の暴走で、姉弟は争っているのではなく、飛んで来る火の粉を払っているだけ)
 
   

二つ続いた記事の水面下、ジャーナリズムの底流━企画者・記者を動かした”ある”力が、期せずして年初に記事として世に現れた。神界におけるお働き、うねりがこの世に達したのでは、との想いは、筆者の独りよがり、過剰期待でありましょうか。
現本部がいかに「今の教え」をタテに尊師を棚上げし(その余慶だけはフルに頂きながら)教えを歪ませようとも、社会の健全な良識が許さないのではないか。
 

    「聖使命」紙平成十七年二月号では、新年度方針があり、「前文」結語に「法燈継承者であられる正副総裁に中心帰一」とある。公式文書で初めての記事かと思うが、いつ正式発表、神前報告がなされたのか。ローマ法王は同時に二人の存在はない。他教団も同じ。世間に認められる行為であろうか。生長の家大神・谷口雅春先生に恥ずかしく思わないであろうか。
 
   

本部会館二月十一日、建国記の念日式典行事は半分で終了の由。唖然として二の句も出ない。「週間実話」を嘲笑う資格どころか、「生長の家」の名を冠する資格すら疑われる。
 

編集後記  

谷口清超総裁は二月の団参練成会の講話後、長崎の病院に一旦入院し、その後東京の自宅に戻りましたが、二月末の全国代表者会議、三月一日の立教記念日ともに欠席。今後の公式行事参加も危ぶまれている状況。速やかなご快癒を祈るばかりです。
 

    雅宣氏は、平成二年の谷口清超総裁による副総裁指名の時をもって、「面授によって法燈を継承した」と主張している。しかし、これは途方もない妄言である。
十五年間も法燈継承者が二人もいたり、雅宣氏自身が最近までさの事を知らなかったり、総本山では現総裁のみの「法燈継承日祈念式典」が今日まで挙行されてきた、等々の矛盾からみても明らかである。
 
    そもそも、谷口雅春先生は「法燈継承は面授による」とは一言も言われていません。
生長の家の法燈継承は、「面授」にこだわる必要はなく、生長の家が培ってきた文化と伝統の中から時間をかけて形作って行けばいいのです。
「総裁・副総裁」もあくまで”実相の総裁・副総裁”を指し、み教えを全的に奉じない人物まで含まれるはずはありません。
 
       
「学ぶ誌」平成17年4月号      
宮澤潔氏 最高裁で勝訴確定!  

生長の家オーストラリア法人及び同日本本部「ときみつる会」の代表である宮澤潔氏と、原宿の生長の家との間で27ヶ月の間争われていた裁判は、2月8日、最高裁判所が東京高裁の判決である宮澤潔氏全面勝訴の判決通りとする決定を下し、確定しました。 最高裁判所の判決は以下の通りです。
  「主文 本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない。」
 

   

宮澤潔氏は平成14年7月31日、「辞表」を提出して本部職員を退職、その後宮澤潔・壽美夫妻及び現地法人幹部は、「生長の家創始者 谷口雅春先生の深遠なる御教えを純粋に信仰し、これを正しき姿で全世界に弘め、かつ後世に伝えのこさんがため」との「生長の家オーストラリア法人独立宣言」を発出しました。これに対し、原宿の生長の家執行部は一旦は「宮澤潔氏が退職した」発表しておきながら、その三ヶ月後に「懲戒解雇」としました。
これは、宮澤潔氏の「退職」が「み教えの護持」であったにも拘わらず、単に宮澤潔氏の「人格問題」に摩り替えることで、現教団執行部の「み教えの歪曲化」を隠蔽し、信徒には宮澤潔氏が教団を追われたとの印象を与えるための極めて姑息な策謀でした。
このような暴挙に対して、宮澤潔氏は「護法の戦い」を開始しました。それが今回の裁判の意味するところでした。
 

   

原宿の生長の家執行部は面子のみで最高裁判所まで争いましたが、この裁判では、単に原宿側の違法行為が裁かれただけではなく、東京高裁の和解斡旋にも応じず、ひたすら宮澤潔氏排斥だけを目指すという、宗教団体とは思えない、あのりにも低次元で世俗的な権力維持の姿だけが浮き彫りとなりました。
 

声 (読者投稿欄)   谷口雅宣氏のホームページを見てびっくりしました。新潟県中越地震が起きた翌々日の10月25日の雅宣氏の掲示板に「生長の家講習会のため23日午後から長岡市に滞在していましたが、中越大地震の襲来にもかかわらず、昨夜(24日)に東京に帰還しました。」と書いてあります。
「帰還」とはどういう意味でしょうか。自分だけ帰還すればよいのでしょうか。その場にとどまって皆様の安否を気遣う愛の行動もなかったのです。
これが「今の教え」を説く、現教団の総裁代行谷口雅宣氏です。
 
   

谷口純子白鳩会副総裁は、機関紙『白鳩会』平成17年1月号で、拉致被害者の問題を他の問題と一括して、「いちいち列挙していたらきりがありません」と活字にして憚りませんでした。

       

雅宣氏言動

護法の運動

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