平成17年11月号 編集後記

三浦晃太郎氏 「学ぶ誌」を

「『学ぶ誌』は批判ばかりしている」と批判


 「光明思想」を「暗黒面を見ない」の面のみに捉え、「光来って虚妄と暗黒を地獄の火に投げ入れてこれを焼き滅ぼす」の光の進軍の面を隠して、自らが谷口雅春先生のみ教えを隠蔽している事を批判している論説を、その一面観で照らして間違っていると批判するのは、余りにも哀れと言う他はありません。



【編集後記】

▼本部理事で束京第一教区教化部長の三浦晃太郎氏は、ある会合で「『学ぶ』誌をやっている人たちは頭はいいかもしれないけれども批判ばかりしている」と本誌を批判したそうです。三浦氏に限らず、この種の人たちは「『学ぶ』誌に騙されるな」といった類の陰口や悪口ばかりを並べして、あとは「副総裁に中心帰一しろ」と強権で信徒を黙らせています。しかし、一度として本誌の”批判”にまともに答えたことかありません。

▼この人たちは「光明思想」という言葉に甘えて大きな思い違いをしています。「光明面を見にて暗黒面を見るべからず」の「『生長の家』信徒行持要目」の一節と「『真理(われ)』来って虚妄(まよい)を審判(さば)き、『光(われ)』来って暗黒(やみ)を審判(さば)き、すべての虚妄と暗黒とを地獄の火に投げ入れてこれを焼き滅ぼす」との「”最後の審判”に就いての神示」の一節との区別がついていません。こんなあやふやな生長の家理解こそが教団を危機に陥れているのです。

▼その意味で、今月号の「個人指導のための実践光明講座」はまさに頂門の一針です。「虚説に和解してはならぬ」との「生命の實相」のご文章を引用した上で、「久遠を流るるいのちの顕現である住吉大神の言葉を預かられて生命の実相の真理を説かれた、谷口雅春先生の言葉、教えを相対化し、薄めようとするものは、教団としての『生長の家』の実相(じつのすがた)である筈はありません。」と述べています。本誌は「虚説」に対しては一切の妥協を排するのです。(Ω)
 



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