平成21年1月号(76号)

清超先生のお通夜の席の、名状しがたい惨状


生長の家信徒としては、他の人を非難し闇を暴くのは心に痛いものがありますが、現生長の家の現状を詳らかにし、多くの方々のご判断に供しようとするものです。



 清超先生がお亡くなりになられたことに、哀悼の意を表します。

 しかし、そのお通夜の状況を編集後記で読ませて頂くと、悲しみの中でみ霊の安らかな成仏を祈る厳粛であるべきお通夜で、雅宣氏は荒地氏の参列も妨害し、肉親に暴言を吐き続け、神仏を恐れぬ所業をしたとあります。
 これが宗教家の、いや宗教教団の中心者のすることでしょうか。 絶対に赦されないことです。 この様なことが赦されて良いのでしょうか。



【編集後記】
▼生長の家の第二代総裁・谷口清超先生が平成二十年十月二十八日にお亡くなりになりました。心より哀悼の意を表したいと思います。

▼それにつけても、翌二十九日のお山のご自宅での親族による通夜祭は名状しがたい惨状を呈しました。
 清超先生の実家である荒地家を継いだ荒地浩靖氏は、その通夜祭への参列を許されなかったのです。
 谷口雅宣氏は、手伝いに動員された本部職員に、あらかじめ荒地氏が来訪した場合は追い返すよう厳命していました。そして門前で警護を受け持った本部職員に、荒地氏は文字通りの門前払いを食らわせられたのです。
 荒地氏は門前で聖経を読誦して立ち去りました。
  あまりにひどい雅宣氏の所業に、貴康氏と清超先生のお孫さんたちは荒地氏とともに門前で聖経を読誦しました。
 事はそれだけでなく、邸内でも雅宣氏は兄弟とその子息たちに暴言を吐き続けたのです。
 親の死にも立ち合わせず、厳粛であるべき通夜のお祭りをも台無しにする雅宣氏の非道さは、常軌を逸し、もはや狂気の沙汰と言ってもいいでしょう。

▼以前、週刊誌などでも、”谷口家の兄弟間の骨肉の争い”などと報じられたことがありましたが、そのときは、単なる兄弟げんかなどという次元の問題ではない、教えの破壊に対する護教の戦いであると、本欄では論じました。しかし、今や我々は、教えを持ち出すのもはばかられる、”人としての常識”の欠如を問題としなければならないほどの悲しい現
実に直面しているのです。



雅宣氏言動

護法の運動

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