平成16年12月号

「新教連」切捨ての真相


─本文より─
一言で言えば、それは井上雅夫新教連理事長排除と「愛国団体たる新教連潰し」が狙いなのである。 まさかと思われるかもしれない。しかし、かつて「生長の家数規改正」を実施した理由も、副総裁の言うことを聞かない教化部長排除が動機であったことを思い出してもらいたい。
(中略)
愛国の情厚き井上雅夫理事長の更迭に失敗した谷口雅宣氏と教団執行部は、井上雅夫理事長とともに神の子の教育、愛国心教育、神話教育、道徳教育などを通して谷口雅春先生の「生命の教育」を提唱実践する新教連という組織をまるごと切り捨て、人的・物的・組織的支援を打ち切ることで新教連の自滅を待つという暴挙に出たのである。

「新教連」切捨ての真相

「聖使命」新聞の意味するもの

 「聖使命」新聞平成十五年十二月一日号に『宗教法人「生長の家」新教連との関係を解消』との見出しで、「生長の家」教団は今後の「新教連」との関係を次のように決定した、と伝えた。

  『宗教法人「生長の家」は、財団法人新教育者連盟(新教連)を生長の家とは別団体として位置付け、今後の一切の関係を解消することになった。これは、新教連が「生長の家」との密接な連携のもとに指導を受けることを示した『財団法人新教育者連盟寄付行為施行細則』を改正したのを受けて採られた措置で、十一月五日の最高首脳者会で決まったもの。
  国は行政改革の一環として平成八年、「公益法人の設立許可及び指導監督基準」と「公益法人に対する検査等の委託等に関する基準」を閣議決定。これによって、監督官庁(文部科学省)の公益法人(新教連)に対する指導監督が厳しさを増す上に、平成十七年度末までに「非営利法人法」(仮称)の制定等の具体的な法的措置を講ずる見通しとなったため、従来の施行細則では、財団法人の認可を解消されることを考慮、新教連は同施行細則を改正していた。
  「生長の家」は両軸体制発足以来、運動方針で”生長の家を全面に出した運動”を打ち出し、新教連の事業もこれを受けて、生長の家教職員会(生教会)と相即不離の関係を保ち、生長の家の信仰と一体となった事業を進めてきたが、この改正でそれができなくなることが明らかになっていた。
  今回の決定で、生教会と新教連との関係も解消。今後、生教会は本部教育課の指導の下、宗教法人「生長の家」の意図方針に従って、学校教育、社会教育、家庭教育などの分野において生長の家の教育法を実践、普及していくことになる。』(傍点筆者)

 先に、本誌平成十五年十二月号で「副総裁に問う!総裁も賛成されなかった『教規改正』の経緯」 でも触れたことだが、今回のこの「聖使命」新聞の報道も、その意味することを理解する人は稀であろう「生長の家数規改正」同様、信徒を煙に巻いてうやむやのうちに事を進めようとしているかのようである。
  この「聖使命」新聞が言わんとしていることを分かり易く言えば以下の通りである。
  政府は今後、監督官庁を通して財団法人をこれまで以上に厳しく検査し、財団法人として適当と思われない状態があれば、財団法人の資格を取り消すこともあり得る、との方針を決定した。そのため、新教連は規則を改正してそれに対処した。一方、生長の家教団は、それによって新教連を支配下に置くことができなくなったため、「今後の一切の関係を解消」することにし、「生長の家教職員会」のみを支配下に置くことにした、というのである。

  これによって、平成十六年四月一日をもって生長の家教団は新教連との「一切の関係を解消」した。そして、今日までの約半年間に何が行われてきたか。
  先ず、
●新教連理事をはじめとする新教連役職から本部職員が全員外れ、
●生長の家教団からの種々の支援が完全に打ち切られ、
●新教連の事務所が原宿の生長の家本部会館から追い出され、
●各教区の新教連支部長の九割以上が新教連を去り、
ざらに
残った支部長にも磯部和男教化・講師部長名で地方講師辞任を迫る文書を送付
しているのである。
まさに人的・物的・組織的な全面的関係解消であり、「一切の関係を解消する」との宣言に相応しい徹底振りである。

なぜ「今後の一切の関係を解消」しなければならないのか

 なぜ、ここまで徹底して「今後の一切の関係を 解消」しなければならないのか。
  監督官庁の「指導監督基準」が厳しくなるから、 という理由ならいくらでも対処の方法があった筈である。財団法人は今後、他団体との関係を全面的にすべて解消しなければならないとでも言うのだろうか。そもそもそれで財団法人の活動が円滑にいくとでも言うのだろうか。また、新教連理事に生長の家職員が含まれることや支部長が生長の家の役職者であることに何か問題があるのだろうか。他団体に属している人間は財団法人理事その他の役職に就けないのなら、誰もなり手がいなくなることは火を見るより明らかではないか。
  一般的に言って、財団法人の理事や支部長がどんな宗教を信じていようと、それは個人の信教の自由によるところであり、何ら問題はない筈である。新教連だけは生長の家という特定宗教だけは排除すると監督官庁が決めたとでも言うのか。一方、生長の家教団の信徒は他の団体に関係を持つことを禁じられているのか。自民党の党員だったり、労働組合の組合員だったら生長の家を破門されるのか。地方講師がNPOやボランティア団体に属していたら地方講師を返上しなければならないのか。もしそうなら、今日の日本国民とは思えない、北朝鮮にも匹敵する圧政下に喘ぐ人々であると断じるほかない。

 仮に新教連と生長の家との密着が問題と言うなら、「財団法人世界聖典普及協会」の方がはるかに大きな問題を含んでいる。なぜなら「世界聖典普及協会」の理事には生長の家副総裁・谷口雅宣氏が就任し独裁的権力を振るっており、監事には磯部和男副参議長が目を光らせている。さらに事業内容たるや日本教文社の発行の雑誌と書籍の流通卸売りの収益事業がそのほとんどであり、申訳程度に図書館への献本などの財団法人らしき活動を行なっているにすぎない。新教連が公益活動として教育活動を実際に行なってきたのに対し、普及協会はその大半が収益事業であり、宗教法人生長の家と財団法人世界聖典普及協会との癒着は、とても独立の財団法人とは思えぬものがある。問題にするなら、新教連より普及協会なのである。実際そのことは既に教団内や普及協会内でも指摘されていることであるが、これには何ら手を付けずに今日に至っている。

 新教連は谷口雅春先生が設立された団体であり、信徒が積極的に活動に参加すべき教育団体であるはずなのに、なぜ、教団はここまで徹底して「一切の関係を解消」し、異常とも思える行動に走っているのか。
  一言で言えば、それは井上雅夫新教連理事長排除と「愛国団体たる新教連潰し」が狙いなのである。
まさかと思われるかもしれない。しかし、かつて「生長の家数規改正」を実施した理由も、副総裁の言うことを聞かない教化部長排除が動機であったことを思い出してもらいたい。それと同様に新教連理事長・井上雅夫氏の排除を通して新教連の骨抜きを狙い、その試みが失敗するや、副総裁は新教連そのものを潰す暴挙に出たのである。

 以下、井上雅夫新教連理事長排斥の画策の経緯を述べておきたい。

新教連排除の真の理由とその経緯

 平成十二年七月頃、新教連・生教会では、運動方針作成のため、今後の生長の家教育運動についての話し合いが行なわれた。その際、学校建設、愛国心を涵養する教育、教育勅語や古事記を積極的に教えることなど教育正常化運動が議論され、同席していた吉田晴彦生長の家理事長をはじめ、本部理事兼務の役員も大賛成し、平成十三年度の「生長の家運動方針」の中の「新教連・生教会運方針」にできるだけ盛り込むことを決めた。
  しかし、その後「谷口雅宣副総裁が愛国的教育や学校建設に賛成していない」旨の意向が伝えられると、新教連・生教会は自主規制によって平成十三年度の運動方針案原案への盛り込みを断念することとした。因みに「生長の家運動方針」は、相愛会、白鳩会、青年会、講師会、栄える会、新教連・生教会の各組織がそれぞれの原案を作成し、総裁・副総裁、理事長、理事、教化部長で構成する拡大最高首脳者会で決定される。従って、副総裁が反対なら拡大最高首脳者会で否決されることはあらかじめ分かっていたことであった。
  そこで、学校建設問題などについて、平成十三年二月末開催される「生長の家代表者会議」で発言し、全国の生長の家幹部に教育正常化運動の象徴的事業として強く訴え、大きな流れを起こすことを決めた。

 平成十三年二月末に開催された生長の家代表者会議で学校建設や教育正常化などの発言がなされたが、本部側執行部は曖昧で不誠実な受け答えに終始した。このやり取りに義憤を感じた井上雅夫新教連理事長は、「教団として何か夢のある方針を立案して、信徒に明るい目標を持ってもらうようにしてはどうか。そのために谷口雅春先生も総本山に建設されようとした学校建設を高らかに掲げてはどうか。」と発言し、会場からは井上雅夫理事長を支持する拍手が多数起こったが、遂に副総裁の意向を気にする吉田晴彦理事長からは明確な答えがないまま代表者会議は閉幕した。
  この代表者会議後、吉田・井上会談が行なわれた。ここではかなりの激論となったようであるが、吉田理事長からは何も誠意ある発言はなかった。

 翌平成十四年二月の生長の家全国代表者会議で、再び井上雅夫理事長が発言した。この時は学校建設問題などには触れず、「生長の家は日本で谷口雅春先生が始められた光明化運動である。日本には素晴しい日本の文化と伝統を表している元号があるので、運動方針書の年度表記には元号を使うべきである。海外版の運動方針書のみに西暦を使用すべきではないか」等の新教連・生教会の従来からの総意を代弁した主張を展開した。この時も、会場からは井上雅夫理事長を支持する拍手が多数起こった。
  このニカ月後の平成十四年四月、・新教連・生教会の定期役員改選が行なわれた。これまで井上雅夫新教連理事長が生教会会長を兼任していたが、この改選期を捉え、吉田晴彦生長の家理事長三浦晃太郎生長の家参議・理事(新教連理事)は、事前の井上雅夫氏排斥の多数派工作を画策し、野沢幸平新教連理事の新教連理事長・生教会会長の担ぎ出しに奔走した。生教会は正式名称を生長の家教職員会と言い、発足当初は新教連内部に置かれていたが、昭和四十年生長の家本部に移管され、相愛会、白鳩会、青年会、講師会、栄える会同様、生長の家信徒の教職員で構成する、生長の家教団傘下の会である。従って、生教会そのものに人事権はなく生長の家本部に人事の決定権があった。しかし、組織の実態はともに生長の家の教育組織として新教連と不可分の関係にあった。そこに井上雅夫氏に替わり野沢幸平氏が指名されて生教会会長となった。

 一方、新教連は財団法人であるため、新教連理事長は新教連理事会での選挙で決定される。吉田晴彦生長の家理事長と三浦晃太郎生長の家参議・理事は、新教連理事に多数派工作を行い、野沢幸平氏選出を試みたが、選挙の結果は井上雅夫氏が再選された。ここに、生長の家の二つの教育団体にそれぞれのトップが誕生したことになる。
  そして、平成十四年五月から新教連内部に「規約改正等検討委員会」が設置された。これは先の「聖使命」新聞が報じた如く、政府の方針として監督官庁による公益法人への監視の目が厳しくなることに対して、民法上の公益法人として、つまり新教連が公益財団法人として今後も活動を続けていくことを規約上からも確保するため、諸内規の見直し作業を行なうためであった。しかし、これは生長の家教団と完全に縁を切るための見直しという意味ではいささかもなく、単に財団法人としての独立性を保つという意味であって、谷口雅春先生の「生命の教育」を根幹に据え、生長の家との組織的繋がりを保ち、人的繋がり物的繋がりを保つことに何らの変更を加える意味ではなかった。

 しかし、生長の家教団は、新教連のこの規約変更の動きを新教連切り捨ての口実に利用したのである。先に述べたように、谷口雅宣氏の方針に敢然と意見を述べ、愛国の情厚き井上雅夫理事長の更迭に失敗した谷口雅宣氏と教団執行部は、井上雅夫理事長とともに神の子の教育、愛国心教育、神話教育、道徳教育などを通して谷口雅春先生の「生命の教育」を提唱実践する新教連という組織をまるごと切り捨て、人的・物的・組織的支援を打ち切ることで新教連の自滅を待つという暴挙に出たのである。そうでなければ、どうして「今後の一切の関係を解消する」との「聖使命」新聞の言葉など出て来よう。またそれに続く地方講師信徒の新教連所属を執拗に妨害するのか理解できぬであろう。

 新教連が生み育ててきた「生命学園」「母親教室」を取り上げ、新教連の組織自体を教団の完全支配下に置き、一切の独自の教育活動を奪っておきながら、それでも尚、愛国心教育の方針を採り続ける新教連という組織と、そして自分の意に沿わない愛国者を弊履の如く冷酷に切り捨てる非情さによって今回の新教連切り捨てが行なわれたのである。天界の谷口雅春先生のお嘆きは如何ばかりであろうか。

谷口雅春先生が設立された新教連

 そもそも、新教連は谷口雅春先生が提唱されて設立された教育団体である。しかも生長の家立教わずか五年後の昭和十年の時点で「生長の家教育連盟」の創立を提唱され、「生命の教育」誌が創刊されている。昭和十三年に名称を「生命の教育連盟」と改称し、終戦後の占領期間を経て、昭和二十七年谷口雅春先生が教育運動の再開を提唱された。そこで本部内で「生長の家新教育者連盟」の名称案をもって谷口雅春先生のご裁可を仰ぐと、谷口雅春先生は「この教育運動は、将来に対する宏大な期待のもとに、単に生長の家信徒のみの運動とすることなく、一般教育活動に生長させるべきである。だから『生長の家』の文字をとり、『新教育者連盟』と称するように」とのご教示があった。谷口雅春先生の「日本を守るためなら生長の家の一つや二つ潰しても構わない」との烈々たるご決意の実践であるかのようなご発言であった。
  ここに昭和ニ十八年一月一日をもって「新教育者連盟」は正式に結成され、会長に山口悌治氏が就任した。さらにその後、昭和四十二年、文部大臣より正式に財団法人として許可された。従って、新教連はそもそもの発足時から、生長の家教団とは運営経理ともにまったく独立した組織であった。しかし、これは、財団法人世界聖典普及協会、財団法人生長の家社会事業団、株式会社日本数文社と同様、組織としては独立しているが、谷口雅春先生の教えを奉じ、谷口雅春先生の理想をわが理想とし、日本国の実相顕現、人類光明化運動を推進するための組織であるという意味では、宗教法人「生長の家」と不即不離の関係にあり、他の外郭団体同様、新教連も組織としては独立していながら、密接な人的・物的関係を保つべきものなのである。

 谷口雅春先生の教育にかける情熱は、『生命の實相』全四十巻の中に「教育篇」「教育貧践篇上・下」「女性教育篇」「児童教育篇」「家庭教育篇」の五篇を数え、異例の多さにも見ることができる。その他にも多くの教育関連書を著わされている。戦後の唯物教育、日教組教育、反日教育、アメリカ礼賛教育、など谷口雅春先生の教育へのご憂念はいかばかりに深かったことであろう。
  その谷口雅春先生の教育への深きご関心を新教連は身に体しているのである。必ずや新教連は復活する。日本浄化の住吉の大神様のご加護と心ある信徒遠の奮起によって、副総裁と現執行部が期待する自滅への方向とは真反対に、新教連は谷口雅春先生が設立時に期待されたその真の姿を現して大飛躍を遂げるだろう。野に放たれた虎の如く、日本の教育界に疾駆するだろう。心ある信徒の大結集を心から呼びかけたい。

 尚、本稿作成のため、新教連ゆかりの方々から数々のご助言、各種情報を頂いたが、現役の教団関係者、新教連関係者との接触は、今後の活動に支障をきたす恐れを配慮し、一切行なっていないことを付言しておく。
 




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