平成15年12月号

教規改正の経緯の怪


(本文より)
自分の意向に添った理事選出を図ったところ、その意中の人物の殆どが落選(中略)これに業を煮やした副総裁が考え出したことが、自らの意向がストレートに反映する機構改編、つまり「教規改正」であった。
(中略)
副総裁が目論んだ「改正」の意図が見えてくる。つまり、理事会を意のままにしたいが理事の選出という問題で蹟く以上、理事会そのものを潰そうと考えたのである。そして自分に反対する理事が参加する理事会と自分に反対する教化部長が参加する拡大最高首脳者会を潰そうと図ったのである。

総裁も賛成されなかった『教規改正』の経緯

 前号の「法燈継承の怪」につづき本文を発表する真意は、教団の実態暴露・対抗に非ず。ひたすら光を高く掲げ、生長の家の実相顕現を心から願う一心である。生長の家の消長盛衰は単に一宗教法人の問題に止まらず、その高度の伝統・影響力からして、日本国の消長に大きく関わる重大問題である。教団の最近の非道な、創始者・総裁(もとより住吉大神も)の意向をも無視した行為に、事実に基づき検証、警鐘を嶋らすものである。
 「生長の家数規」と言えば、宗教法人「生長の家」の憲法とも言うべき最高規範である。その「生長の家教規」に昨年の一月、重大な変更が加えられた。このことは、平成十四年二月一日号の「聖使命」新聞一面に報じられているが、この変更内容も驚くべきものであるが、さらに驚くべきは、この変更を最終決定した生長の家の最高意思決定機関である拡大最高首脳者会での決定までの経緯である。この決定は、平成十三年十一月二十日及び平成十四年一月二十二日の拡大最高首脳者会で審議され決定された。
 その決定は満場一致などと言えるものではなく、侃々諤々の議論があり、さらに谷口清超総裁、谷口恵美子白鳩会総裁ともに賛成の挙手をされず、しかも第一回目の拡大最高首脳者会で反対論を述べた出席者を報復人事によって粛消した上で、第二回目の拡大最高首脳者会で決定されたものであった。今回、この決定の陰に隠された驚くべき事実を述べるに際し、現役の教団役職者及び職員への取材・情報提供など一切求めなかった。当時の事情を知っており、かつご迷惑の掛からない方々のご協力にとどめたことをあらかじめ付言しておきたい。

  一、「教規改正」は、教団私物化=独裁体制につながる「教規改悪」である

 「今回の改正は、理事長の権限を縮小し、宗教上の最高位者であられる総裁先生及び副総裁先生が宗務を総理され、”聖”の分野を統括される方向で行われた。具体的には、理事長が招集し、議長を務める理事会及び常任理事会は廃止され、(略)宗教上の意思決定機関である最高首脳者会の構成員は、総裁先生の選任または任命による参議長、副参議長、参議、非常任参議とし、(略)総裁先生が現職の参議の中から参議長一人を選任し、参議および非常任参議は、参議長が候補者を指名、総裁先生が任命することになる。
 (略)拡大最高首脳者会は、最高首脳者会の構成員のほか、教化総長、日本国内の教化部長および総裁先生の指名された者を加えて開催される。(略)海外の教化総長、日本国内の教区教化部長の任免・異動の審議決定は、拡大最高首脳者会から最高首脳者会に委任する。」
 以上が前記「聖使命」新聞の内容だが、これではよほど「教規」に精通している者でない限り、正確に理解することは困難と思われる。そこで、事の発端から「改正決定」までの経緯を追いながら、この「改正」が、実は副総裁の独裁体制につながる「改悪」であることを述べたい。

  二、「教規改正」の発端となった出来事

  日本国の国法である「宗教法人法」は”聖俗分離”の考え方で制定されており、”聖”とは「純粋な宗教活動全般」に関わること、”俗”とは財産管理や経理事務に関わることとされている。改正前の「生長の家教規」でも”聖”の部分を「理事会」が担い、”俗”の部分は宗教法人法に定められた「責任役員会」(理事が兼任)が担っていた。改正前の「生長の家教規」では、「理事会」は理事長と理事合計十九名で構成され、理事会で決議された案件を、総裁の承認を経て執行されていた。尚、宗教上重要な案件については「最高首脳者会」(総裁、副総裁、理事で構成)が開催されることがあり、教規の改正や運動方針などの決定は最高決議機関の「拡大最高首脳者会」(最高首脳者会構成員に教化部長などを加えて構成)で行われたが、通常、生長の家の運営は事実上「理事会」によって担われていた。理事の選出は、理事長が作成した「理事候補者リスト」に基づき、理事長と教化部長で構成する「評議員会」での秘密投票による過半数の承認で選出され、理事長は理事の互選で選出されていた。従って、簡単に言えば、教化部長が理事を選出し、理事が理事長を選出した。総裁は、最高首脳者会、拡大最高首脳者会を主宰し、理事会での決議事項の承認を行っていた。これが生長の家の意思決定の流れであった。
 そこでなぜ谷口雅宣副総裁はこの教規を「改正」しようと考えたのか。まず挙げられるのは、谷口雅宣氏の平成十一年十一月二十二日付の「総裁代行」就任である。総裁から「総裁代行」の委任を受けた谷口雅宣氏は、これで「教規」上何の権限も持たなかった身分からほとんど総裁同様の権限を手に入れた。しかも、ほとんど「強奪」に等しいやり方であった。すなわち、この八ヵ月前の三月末日、谷口雅宣氏は、生長の家本部を退職する旨、パソコン通信にて全国の教化部長に発表した。その文面には、総裁を中心とした機関決定による教団運営に疑問を呈し、副総裁たる自分には何の権限もない現状への不満に満ちていた。そして最後は「お別れの挨拶」めいた文章で締め括られていた。まさに読み手には副総裁職をも辞任するかの如き感を抱かせるものであった。従って、これは教化部長を通して総裁への、このままでは職員のみならず副総裁をも辞職するとの恫喝的メッセージと言えるものであった。
 それまで「教規」上は何の権限もなく、ただ次期総裁候補者という地位で高圧的に振舞ってきた谷口雅宣氏だったが、総裁代行就任によって、ここに教団の運営に関する絶大な権力を有するようになった。その副総裁が、平成十二年五月二日の評議員会に、自分の意向に添った理事選出を図ったところ、その意中の人物の殆どが落選し、このため理事会の定員十九名が埋まらないという事態が生じた。この時点では、副総裁の暴走を止めるべく教化部長の見識と機能が慟いていたことになる。しかし、これに業を煮やした副総裁が考え出したことが、自らの意向がストレートに反映する機構改編、つまり「教規改正」であった。

 三、「教規改正」で何が実現したか

 以上のことで、副総裁が目論んだ「改正」の意図が見えてくる。つまり、理事会を意のままにしたいが理事の選出という問題で蹟く以上、理事会そのものを潰そうと考えたのである。そして自分に反対する理事が参加する理事会と自分に反対する教化部長が参加する拡大最高首脳者会を潰そうと図ったのである。そして理事長、理事の権限の大部分(いわゆる聖なる部分)を取り上げ、代りに参議長、参議を副総裁の意のままに任命できるようにし、そして総裁、副総裁のほかは自分の意のままになる人物だけで構成される「最高首脳者会」(改正前の名称をそのまま使用)を生長の家の意思決定機関とした。しかも、教化部長が参加する「拡大最高首脳者会」を骨抜きにするため、教化部長の任免の決定を、拡大最高首悩者会から、副総裁の意のままに動く最高首脳者会に委任した。
 これによって、すべての教団内の機構に副総裁の直接的影響力が行き渡り、副総裁に反対を唱える理事及び教化部長は徹底的に排除され、イエスマンのみを本部の役職者とすることを可能とした。
 これによって、財団法人世界聖典普及協会の理事、株式会社日本数文社取締役の地位と合わせて、生長の家全体の権力を副総裁とその個人的側近に集中させ、恣意的な権力行使の実質的基盤が完成することになった。

 四、ある教化部長の反論

 この「教規改正」問題がはじめてパソコン通信によって各教化部長に「『生長の家教規』の一部変更案」として提示された時、ある教化部長が吉田晴彦理事長に質問を行い、オンライン上での激しいやり取りが行われた。この副総裁に権力が集中する「改正案」は、現在の国法である宗教法人法の「聖俗分離」の考え方に反し(先の「聖使命」新聞のいう”聖”なる分野は、本来”俗に属する人事権”をも含む広範なものであり、国法である宗教法人法の方向性から大きく逸脱している)、また、本来、宗教団体組織は聖なる方が現象的法的責任を伴う俗的な権限を持たず、しかも健全に運営されることが理想であって、聖なる御存在であるべき総裁先生・副総裁先生には直接的な法的根拠や権限はお持ちにならなくとも、あらゆる本部の会議に自由にお出ましになられ、それぞれの案件について御意向を示され、又お伺い中し上げ、しかし両先生のお示しの事柄は論議を尽くして、全てを実現させる事が『宗教団体・運動組織体のあるべき姿』であるとして、「本件は継続審議とすることを提案」し、この「改正案」に徹底反対を衣明した。
 これに対し、吉田理事長は「提案者としては『継続審議とするという提案』は受け入れられません」とにべもなく拒否し、時を同じくして副総裁も発言(オンライン上で)し、「参議は総裁が選ぶのですから、それに何か危険性があるとしたら、総裁(実質上は副総裁)が自分の信頼する人ばかりを参議にするのでは、間違いだという意昧でしょうか?」と脅しとも取れる発言を行った。

 五、総裁・谷口清超先生、恵美子先生も賛成されなかった「教規改正」

 平成十三年十一月二十日、総本山において生長の家拡大最高首脳者会(宗教上の最高決議機関)に、「理事長権限の集中排除」等を理由に「教規」の抜本的改正が提案された。そこで大激論が展開され、副総銃のこれ以上の暴走を食い止めようとする教化部長の必死の発言が相次いだ。その結果、表決は「教規改正」に「賛成」が約四分の一、「継続審議」(事実上の反対)が約四分の三、の表決となった。この表決には、議決権を有しておられる谷口清超総裁、谷口恵美子白鳩会総裁お二人とも「賛成」の挙手をされず、事実上の反対表明をされた。れは過去に前例のない前代未聞の出来事であった。
 この結果に対して、副総裁は報復人事を敢行した。すなわち、平成十四年一月の教化部長の定期異動決定において、異例の大移動を行い、先の拡大最高首脳者会で「教規改正」に反対や慎重論を主張した教化部長の多くを更迭した。すなわち、「理事を選出できる評議員の資格と拡大最高首脳者会の構成員資格を持つ」教化部長職から追い出し、七十歳停年を過ぎた大方の教化部長には嘱託を延長せずに退職させ、他の教化部長は地方各地等に更迭した。この人事異動は他の教化部長に対する暗黙の恫喝でもあった。
 次いで、継続審議となった「教規改正」問題は、平成十四年一月二十二日、生長の家本部で開かれた拡大最高首脳者会に再度提案され、遂に可決された。先の報復人事発表で、出席した教化部長に再度の「教規改正」案反対は最早できない心理状態に追い込んだ上、さらに反対派と目される教化部長違を被告席を連想させる会場の一角に押し込める配置を行い、しかも念には念を入れて、一人三分の発言時間に制限した上での可決成立であった。そして、この表決にも、谷口清超総裁、谷口恵美子白鳩会総裁お二人とも「賛成」の挙手をされなかった。

 六、「教規改正」決議がもたらしたもの

 以上の経過を経て、平成十四年四月一日から教規改正が施行されているが、これによって副総裁の支配体制は確立し、今日に及んでいる。最早、表立って副総裁に諌言、忠告する者は教団内には誰もいなくなり、まさに副総裁とその意を忠実に実行する側近の思いのままの、生気を失った迷いの真っ只中にある生ける屍と化した生長の家となったのである。そして、忘れてならないことは、谷口清超総裁と谷口恵美子白鳩会総裁の事実上の反対の意思表示である。「中心帰一」をあれほど執拗に説く副総裁とその側近達は、自らが生長の家の中心者である谷口清超先生への「中心帰一を無視している。もし自らの「中心帰一に従うのならば、谷口清超先生が反対された時点で「教規改正」案を撤回すべきであった。
  このことからも、彼らの言う「中心帰一」が、実は副総裁への服従の強要であることがはしなくも証明されている。この暗雲を一刻も早く払拭しない限り、生長の家はその真の姿を現わすことはできない。生長の家教団光明化運動が急がれる理由がここにある。

 七、独裁・権力集中の真意は奈辺に?

 「白人信徒を多勢集めろ」との勅使川原白鳩会会長の北米教化総長(初の英会話無資格者)への異動(その理由につき低次元の諸説横行)における「通訳ナシ運転手ナシ」の愛の宗教団体と思えぬ指令、「北朝鮮拉致の解決は政治のやること」と突っぱねた講習会での回答、谷口貴康氏の副理事長→理事→非常任理事→総本山総務の連続降格人事、オーストラリアの義兄への理不尽な裁判攻勢、日本国実相顕現運動への弾圧、そして二三七名の最重要な教修会を両総裁先生抜きでお台場のホールで強行(本部会館売却への足がかり固め?)など、枚挙にイトマないこれら暴挙の根源は果たして何か。何ゆえにここまで生長の家の神意・道統をくらまし、ないがしろにせねばならないのか。その隠された真意は?
 これらへの当会の検証・追究は異様・過敏とみられようか。しかし一日黙坐(視)すれば、事態は数段悪化する。本論でも明白である。
 崇高なる使命をもつ生長の家を、これ以上神意から逸脱・暴走させぬため、当会は、神界よりの谷口雅春先生の御教えを体し、全国で起ち上がった多くの同志と倶に、真の光明化運動に精励邁進する。
 




護法の運動

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