平成16年3月号(18号)

副総裁に問う!

総裁も反対された谷口雅春先生新刊聖典出版停止の経緯



生長の家信徒としては、他の人を非難し闇を暴くのは心に痛いものがありますが、現生長の家の現状を詳らかにし、多くの方々のご判断に供しようとするものです。

 下記に、平成4年7月に決定された日本教文社の新刊聖典重版保留方針が決定された経緯が、学ぶ誌18号に 掲載されています。誠にも、役員全員の反対にも関らず決定された事が、厳しくに述べられています。




  本誌前々月号(平成十六年一月号)に掲載した「聖典承服保留の核心を衝く」で谷口雅春先生の聖典重版保留(事実上の絶版)問題を取り上げたが、その中で、平成四年七月十五日の日本散文社取締役会で「谷口雅春先生の新刊書出版停止」についても若干触れた。そこで今回、改めて谷口雅春先生の「新刊聖典の出版停止」がどのような経緯で決定されるに至ったかを究明したい。
 おそらく、昭和五十八年の生長の家政治連合の解体と並び、この「谷口雅春先生の新刊聖典出版停止」決定は、以後の生長の家教団衰微に決定的影響を与えた「事件」であり、谷口雅宣氏の数々の背教的行為の中でもとりわけ罪深い行為であったことが判明すると思われる。

谷口雅春先生の「重版聖典」と「新刊聖典」

 谷口雅春先生の聖典は『生長の家五十年史』の巻末の一覧表にある通り六百点前後あると思われるが、『生命の実相』をはじめとするこれらの聖典のほとんどは、「生長の家」誌をはじめとする各種月刊誌や「聖使命」紙、やまと新聞、中外日報、動向等に掲載されたご文章を集めてそれぞれ単行本化されたものであるという。
 初期の時代は谷口雅春先生ご自身で執筆、編集、校正、その他出版に関わるすべての業務をこなされていたが、株式会社日本教文社の前身である株式会社光明思想普及会が昭和九年に設立されてからは、編集、出版は光明思想普及会即ち日本教文社の手に委ねられた。しかし、それでも、内容編成、校正、造本、装帳、宣伝を含め、谷口雅春先生のご指示は細かな点にまで及び、このことは谷口雅春先生ご晩年まで続いていたと言われる。
 新たに月刊誌からご文章を集め単行本として出版するものが新刊聖典と呼ばれ、多い年で年十数点の新刊聖典が出版されたことが先の『生長の家五十年史』からも分る。次々と出版される新刊聖典は在庫が少なくなればその都度重版していくので、新刊聖典は自ずと重版聖典となり、その間も新刊聖典が出版されるから、新刊聖典と重版聖典が混じり合いながら読み継がれていくことになる。

 一月号の同論文は谷口雅春先生の聖典の重版保留(実質的絶版)に関して論じたが、出版界では、「重版」とは造った本の部数がすべて売れて在庫切れになると予測された場合、同じ本を新たに印刷し製本することを言い、重版するかしないかは新たに増刷して売れるか売れないかの予測だけが基準になると言う。これは常識で考えてもそうであろうし、出版社だけでなく、どの業種の会社の製品も同様であろう。しかし谷口雅春先生の聖典は売れる売れないを超えて布教のため出版し続けなければならないから、売行きが落ち採算が見込めなくなった場合、「新版」と銘打って新たな体裁で新刊聖典として出版を続行したり、新しいシリーズの中の一冊として出版し直したりしながら、再び需要を喚起しつつ出版を継続してきた。従って、谷口雅春先生の聖典は基本的に全ての聖典が出版され続けてきたというのである。
 ところが、昭和六十一年以降、内容上問題があるという理由で、谷口雅春先生の聖典のうち重版を停止する聖典がリストアップされ、次々と重版保留(事実上の絶版)にされる事態が出現するに至った。この原因とその経緯については同論文を参照していただきたいが、この重版問題とは別に、谷口雅春先生の新刊聖典についても、重大なそして赦すべからざる決定がなされていたのである。
 谷口雅春先生の新刊聖典については、谷口雅春先生がご昇天された昭和六十年から平成四年の新刊聖典出版停止決定までの七年間、従来どおり日本教文社から一定のペースで出版されていたのである。すでに谷口雅春先生がご昇天され、月刊誌へのご執筆はなくなっていたが、それでもいまだ単行本に収録されていないご文章は厖大に残っていたのである。一説によればなお数十冊分のご文章が残っているとのことである。

総裁の事前のご承認もなかった日本教文社取締役会での決定事項

 谷口雅春先生の新刊聖典出版停止は、平成四年七月十五日の日本教文社取締役会において決定された。
 東京渋谷の東急イン会議室で早朝に開かれ、出席者は、代表取締役・中島省治氏(社長)、常務取締役・鈴木卓郎氏(調整部長)、取締役・宮本三男氏(庶務・経理部長)、取締役・永井光延氏(第二編集部長)、取締役・辻信行氏(第一編集部長)、非常勤取締役・谷口雅宣氏(生長の家副総裁)、非常勤取締役・三浦晃太郎氏(生長の家本部理事)、非常勤取締役・磯部和男氏(生長の家本部理事)の八名であった。

 冒頭、磯部和男氏から谷口雅春先生の新刊を今後停ししたいとの提案があった。その理由は以下の通りであった。

@ 現在の生長の家は、会員信徒とそうでない信徒を明確に区別する両輪体制下にある。谷口雅春先生のご文章は両輪体制以前の神誌時代のご文章である。だから誰に読ませるご文章であるか分らないので現在の生長の家には相応しくない。
A 谷口雅春先生はすでに故人であり、ご本人の了承のない著書を第三者が勝手に出版し続けることはおかしい。
B 谷口雅春先生の教えは、現在谷口清超先生、谷口雅宣先生に継承されており、お二人に中心帰一しなければならないから、谷口雅春先生の新刊書を出版する必要はない。

 この発言に対し、日本教文社サイドの取締役から種々反対意見が出され議論が紛糾した。中島省治社長は事態の収拾を図るため、生長の家総裁・谷口清超先生にお伺いしてから決定してはどうかと発言した。しかし、谷口雅宣副総裁は「その必要はない」とそれを制し、ただちに決を取るよう命令に近い提案を行った。この鶴の一声の結果、磯部和男氏の提案が可決された。
 この経緯から分るように、この決定は、谷口雅春先生の著作権継承者である谷口清超総裁、谷口恵美子白鳩会総裁に何らの事前のご承認もなかった。そして生長の家理事長も知らず、ただ谷口雅宣氏と磯部和男氏、三浦晃太郎氏らの強要による日本教文社取締役会単独の決定であったことが分る。
 この決定を知った生長の家理事長黒河内潤氏は、十九日後の八月三日、中島省治社長に、谷口雅春先生の新刊聖典出版停止の決定についての報告書を提出してほしいと要請した。これを受けて日本教文社は、八月五日付で、取締役会での磯部和男氏の提案理由とまったく同じ趣旨の報告書を作成し、生長の家理事長黒河内潤氏に提出した。

谷口清超総裁の「僕もサインしようか」

 この報告書に対し、平成四年八月七日付で、黒河内潤生長の家理事長名で中島省治社長宛「谷口雅春先生の新刊書発刊の方針について」と題する文書が届けられた。以下全文を引用する。
「平成四年八月五日付にて報告された『平成四年七月十五目の取締役会における決定』を拝見しましたが、下記の点に疑義がありますのでお尋ねします。文書にての御回答をお願い致します。



T

                             記

 貴報告において、谷口雅春先生の新刊書を発刊しない理由として挙げている「(イ)両軸体制以前の会員・未会員未分化時代のお原稿が元になっていること」について

 運動の観点から、対象を会員と未会員に分けて出版するという考え方は、あってよいと思います。しかし、“御教えを伝える(学ぶ)聖典”という観点に立てば、会員のみにしか通用しない、或いは未会員のみにしか通用しない真理の書などというものは現実にはあり得ません。

 一ロに未会員とこ言っても、その中には、“生長の家を全く知らない人”と、“組織の会員ではないが、生長の家には触れている人”とがあり、普及誌の読者の大半は後者に属します。谷口雅春先生のお原稿(又は御講話録音)は、後者のクラスに適したものが多いと思います。また、会員クラスにふさわしい内容のものもあると思います。従って、両軸体制に即した出版となし得るか否かは、編集次第にあると思いますが如何でしょうか。
 

 会員・未会員未分化時代の谷口雅春先生のお原稿は不可と言う考え方を妥当とするならば、その考え方は当然既刊書にも及ぶと考えられますが、この点はどう考えているのでしょうか。
 

U

「(ロ)著者の承認を経ない新刊が延々と発行され続ける矛盾」について

 一般社会においては、相続によって著作権を継承しても、それは単なる財産権の継承にすぎないものでしょう。しかし、谷口清超先生が谷口雅春先生から法燈を継承されたということは、著作権の相続は、即ち、財産権の相続のみならず、著作物の内容についても谷口雅春先生と同一のお立場に立たれたということではないでしょうか。従って、谷口清超先生の御指示あるいは御承認ある新刊を、「著者の承認を経ない新刊」と見ることは誤りであると思います。

V

総裁先生と日本教文社の立場について

 貴社は、昭和九年十一月二十五日、谷口雅春先生によって貴社の前身である株式会社光明思想普及会が設立され、谷口雅春先生の御著書の出版を主軸として成長し、今日に到っていることは御存知の通りです。そして今日は、谷日清超先生が法燈を継承され、貴社の新刊及び重版に対しては、生長の家常任理事会に、その企画を審議せしめ、可否の承認を与えておられます。

 このような立場にある貴社として、取締役会において、いきなり、このような方針変更を決議されたことを遺憾に思います。

以上

 今日の黒河内氏からは考えられないことだが、この文書は明らかに「新刊聖典出版中止」決定に反対する強い意思表示の文書である。この文書に対して、その三日後の八月十日、黒河内潤生長の家理事長宛回答書を中島省治社長名で、中島省治氏みずから黒河内氏を訪ね、直接黒河内氏に手渡した。
 この文書は、先の質問にまったく何も触れず、答えられないとの意思表示が言外に込められていると受けとれる文書であり、ただ取締役会で決定されたことを重ねて伝えるだけのものであった。そして、黒河内羽氏は中島省治氏に次のように語った。

「谷口清超先生は、自分に『このまま報告書(平成四年八月五日付『谷口雅春先生新刊書出版停止決定』の報告書)を受理すれば、これを了承したことになる。問題や疑問はないのか、もしあれば日本教文杜に問いただす必要がある』とご発言になったので、平成四年八月七日の文書(「谷口雅春先生の新刊書発刊の方針について」)を作成した。そして、この文書を総裁先生にお見せしたところ、『この通りである、僕もサインしようか』と発言された。その上で日本教文社に届けたのである。」

 以上の経緯をもって、谷口清超総裁の明確な反対の意思表示はまったく無視される形で、谷口雅春先生の新刊聖典は出版停止が確定され、実行に移されたのである。
 何という悲しい事実であろうか。創始者谷口雅春先生をこれほど疎んじ、かつ教団最高位の谷口清超総裁をも裏切るという、この驚くべき宗数的大罪。一体、如何なる宗教団体がこのような大罪を犯し得るであろうか。
 以後今日に至るまで谷口雅春先生の新刊書は一つの例外を除きまったく出版されていない。その例外とは、『大聖師御講義『続々甘露の法雨』であるが、この聖典は平成五年に新刊聖典として出版されている。これは谷口清超総裁と当時の副理事長・谷口貴康講師部長の強い働きかけで出版されたものであるが、明らかに谷口雅春先生の単独のご著書であるにもかかわらず、「谷口雅春著」とせず「谷口清超編纂」としたのは、上記決定に対する苦肉の策であったからである。

総裁のお心を裏切る谷口雅宣氏の行状

 この一連の事実経過は何を意味するか。明らかに谷口雅春先生に反逆し、生長の家総裁・谷口清超先生の反対を平然と無視する谷口雅宣氏の独断専行であったということである。そして谷口雅宣氏、磯部和男氏、三浦晃太郎氏三氏は事前の共同謀議を経て日本教文社取締役会に臨み、谷口雅宣氏の強権をもって日本教文社を谷口雅春先生新刊聖典出版停止に追い込んだのである。これは極めて狡猾にして陰険な「計画的犯行」であったということである。
 そして、この事実から推して、谷口雅春先生の聖典重版保留問題も、蔡焜燦氏著『台湾人と日本精神』販売中止問題も、「新出版方針」(谷口雅春先生の聖典を出版しないことや愛国的書籍を出版しないことを明記している)の策定、その他の日本教文社を巡る問題もすべて谷口雅宣氏、磯部和男氏、三浦晃太郎氏三氏によって主導されていたことが窺える。いや日本教文社だけでなく、現在の生長の家教団の様々な問題の首謀者が誰であるかがはっきりと浮かび上がってくるのである。

 何が「総裁先生・副総裁先生への中心帰一」か。自らは平気で「中心帰一」を無視しておきながら、信徒には徹底的な「総裁先生・副総裁先生への中心帰一」を説く。ここまで生長の家の教えを弄び、谷口雅春先生を、谷口清超先生を、そして信徒を愚弄しているのである。
 そして、こうした策謀を徹底した秘密主義で信徒の眼から覆い隠し、最早隠し切れなくなったら他人(部下)に責任を押し付ける(例えば、聖典重版保留の責任を最早隠し切れなくなった段階で教修会での資料(年表)で当時の日本教文社社長にその責任が押し付けられている。また『台湾人と日本精神』販売中止問題では、取締役会に責任を押し付け自分は責任がないと言っている)。秘密主義、言論弾圧、そして権力で人を動かし、気に入らない人間を自由に飛ばし、責任を部下に押し付ける。これは典型的な独裁者の姿ではないか。

 谷口雅宣氏のこのような振る舞いが今日の生長の家を崩壊の危機に陥れているのである。



聖典重版保留の怪

護法の運動

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