平成15年10月号

宮澤先生「護法のたたかい」

教団本部が代理人を使ってのオーストラリア法人境内地への不法侵入、不法占拠を試みる暴挙に出た事や、宮澤潔先生への不法な「懲戒解雇処分」に対し、宮澤潔先生とオーストラリア法人は訴訟を起されました。オーストラリア法人弾圧や、訴訟に対する裁判費用など、無法な弾圧行為を行うために想像を絶する巨額の 聖使命会費等の浄財を投入している事がこの記事に示されています。


H15.10 宮澤先生「護法のたたかい」

生長の家オーストラリア法人独立の意義と   
   宮澤潔先生ご夫妻の「護法のたたかい」



宮澤潔・寿美ご夫妻
( 寿美夫人は谷口清超先生の次女に当たられる )

  読者諸賢より、「生長の家オーストラリア法人の独立」に対する称讃と期待、支援の中し出が多数寄せられているという。筆者もその一人である。
  ここに、私見ながら、生長の家オーストラリア法人独立の意義を考察するとともに宮渾潔代表ならびに寿美夫人(谷口雅春先生のお孫さま)の想いを拝察しつつ一文を奉呈する。

◇ 独立の意義−「純粋なる生長の家」の誕生

  平成十四年七月三十一日、オーストラリア国の宗教法人 生長の家( SEICHO ‐ NO ‐ IE INCORPORATED )は、東京に本部を置く宗教法人「生長の家」からの独立を宣言した。それは、今日の宗教法人「生長の家」が失いつつある「尊師谷口雅春先生の御心を中心に原点を振り返りつつ、その原点から発する人類光明化運動」(宮潭代表)を独自に展開するためであり、世界の心ある信徒が待ち望んできた歴史的快挙であった。

独立宣言

オーストラリア国の宗教法人生長の家( SEICHO ‐ NO ‐ IE INCORPORATED )は、生長の家創始者谷口雅春尊師の深遠なる御教えを純粋に信仰し、これを正しき姿で全世界に弘め、かつ後世に伝え残さんがため、東京に本部を置く宗教法人「生長の家」との、包括・被包括関係を破棄し、ここに完全独立を宣言する。
 

  宮潭代表は、本誌平成十四年十一月号の特別寄稿 「生長の家オーストラリア法人独立のご挨拶」の中で「独立を決断した背景」について次のように説く。
  「ところが、誠に残念ながら、東京に本部を置く宗教法人『生長の家』の現状では、『尊ぶべきものを尊び、教えの祖である谷口雅春先生ご夫妻を敬慕し尊師の御心を仰ぎ、これを実践する』という信仰者としての、また、信仰団体としてのごく自然な本来のあり方が、天の岩戸隠れのように暗雲におおわれているかの観を呈しております。さらに現状では、久遠不滅の『真理』そのものが、あたかも時代と共に刻々変わるもののごとく強調され、本来の谷口雅春先生の説かれた不変の『生命の実相』哲学が、時代の変化という名目のもとに埋没の危機にさらされていると危惧しております。神から谷口雅春先生を通じて授けられた福音である聖典が、徐々に出版されなくなっている現状は、この危惧が既に現実になりつつあることを示しております。」(二九頁)
  然り、然りである。事実、尊師御昇天の悲しみの涙も乾かぬ半年後の昭和六十一年一月には『霊性の目覚め』が、そして翌年五月には『美しき日本の再建』が重版保留処分(事実上の絶版)となった。さらに、平成元年七月の『神の真義とその理解」から平成十四年九月の『人生の秘訣365章』『奇蹟を生ずる実相哲学』下巻に至るまで既に二十数冊の「神から谷口雅春先生を通じて授けられた福音である聖典」が焚書の憂き目に遭っている。まさに、教えの祖たる谷口雅春先生の御存在そのものを否定し、教えを換骨奪胎する暴挙が行われつつあると言っても過言ではない。
  こうした中、宮津代表は独立の意義を、決して「本家から独立した異端」となるのではなく、開祖・谷口雅春先生の教えを歪めずに後世に伝えていく「純粋なる生長の家」をめざすことにあると力説する。
「宗教の本質は、そのレッテルにあるのではなく、その宗教において、今、開祖の教えが歪められずに説かれているということにあるめであります。
  生長の家オーストラリア法人は、常に谷口雅春先生の原典を信仰のよりどころとし、常に祈りを通して先生の御心を現代において僕践するところの『純粋なる生長の家』をめざし、かつこれを後世に正しく伝え残さんとするものです。」(同書三〇頁)

信徒の浄財で弾圧に狂奔する宗教法人「生長の家」

  かくして、尊師の御教えを歪めることなく後世に伝えるとの正統な目的に貫かれた「純粋なる生長の家」が誕生(オーストラリア法人の独立)した。しかし、かかる「純粋なる生長の家」の誕生は、尊師の聖典を焚書し「開祖の教えを歪める」大罪を犯してきた東京に本部を置く宗教法人「生長の家」をパニックに陥れた。
  あろうことか、正規の法的手続きを踏んで行われた「生長の家オーストラリア法人の独立」に対し、法を無視した弾圧を繰り返してきたのである。
  まず、宮澤潔特命全国講師の原宿本部辞職を故なき中傷をもって不当な懲戒処分にすり替えた。これには渋谷区労働基準監督署が原宿本部を立ち入り査察し、現在、東京地裁において原宿本部を被告とする裁判が進行中である。
  さらに、生長の家オーストラリア法人の正規の責任役員会で決定された、〈谷口雅春先生の御教えを護るために、東京の宗教法人「生長の家」との被包括関係を解消して独立した法人として再出発する〉との決議の撤回、宮渾代表の辞任と退去等、法を無視した不条理な要求をしてきた。生長の家オーストラリア法人は、一九九三年(平成五年)設立以来、一貫してオーストラリアの正当な宗教法人である。それ故、日本の宗教法人「生長の家」が生長の家オーストラリア法人の正規の責任役員会で決議した議決を変更せよという権利を有していないことは明らかであり、到底認められるはずがない。
  ところが、こうした無法な要求が通らないと見るや、宗教法人「生長の家」は代理人を雇い、「生長の家オーストラリア法人」の境内地への不法侵入、不法占拠を試みる暴挙に及ぶ。
(ちなみに代理人が持参した法に反する「差し押さえ状」には吉田理事長、雪島国際部次長の署名が記されていたという)
当然、不成功に終わるが、生長の家オーストラリア法人は、ただちにビクトリア州の最高裁判所に提訴。不法侵入をやめさせる訴えとともに、生長の家オーストラリア法人が合法的に活動する正式な宗教法人であることを証明するため、宗教法人「生長の家」を第一被告、シドニーの弁護士を第二被告、メルボルンの代理人を第三被告として起訴し現在係争中である。なお、この三被告には不法侵入を禁ずる「禁止命令」が発令された。(平成十五年三月十八日)
  宗教法人「生長の家」は、こうした無法な弾圧行為を行うために想像を絶する巨額の浄財を投入 しているという。本来、人類光明化運動の聖なる目的のために使われるべき 聖使命会費等の浄財が 、「純粋なる生長の家」をめざすオーストラリア法人への 弾圧に使われる とは・・・これほど嘆かわしいパラドックスがあろうか。

◇「虚説に和解しない護法のたたかい」

  このような事実経過を見るにつけ、現在の宗教法人「生長の家」の迷いの姿が浮き彫りになる。理事長自ら不法侵入、不法占拠を代理人に依頼してまで「生長の家オーストラリア法人」を弾圧するのは何故か。尊師谷口雅春先生の御教えを護り後世に伝えたいと「純粋な生長の家」をささやかながらも誕生せしめた宮澤潔代表、寿美夫人の真情を理解し共に手を取り合う度量はないのか。一切を包容する大和の精神は地に墜ちてしまったのか。
  すべては、谷口雅春先生の御教えを全相において継承することを「原理主義」と決めつけ否定したことに起因する。”今の教え”と称して「いまや時代は変わった。自分の説くことがいまの生長の家の教え」と言って憚らない傲慢な中心者に帰一することを強権的に強いる現在の宗教法人「生長の家」の迷妄から来ているといって過言ではない。
  では、かかる宗教法人「生長の家」の「迷いの姿」「虚説」に対して吾らはいかなる態度をとるべきか。尊師は、次のようにお説き下さっている。
「『迷い』に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。『誤れる見解』に対して和解したら実相がくらまされてしまうのであります。 だからわれわれは、決して『誤れる見解』に和解してはならないのであります。『誤れる見解』をわれわれは『虚説』と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。「誤れる見解』は実相の世界にはない。それは『虚説』すなわち『無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。虚説に和解したら自分の完全なる実相が晦まされ、完全なる実相が晦まされたならば、その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります」(『生命の實相』第十四巻六〇頁)
  その意味で、宗教法人「生長の家」の無法な弾圧に屈せず「純粋なる生長の家」を護りぬく宮澤代表ご夫妻のお姿は、”闇に対しては光をもって相対せよ”の「虚説に和解しない護法のたたかい」の姿に他ならない。

◇宮澤ご夫妻のお人柄−その信念と熱祷

最後に、こうした「虚説に和解しない護法のたたかい」に立ち上がられた宮澤潔代表と寿美夫人の人となりについてふれておきたい。
  宮澤潔代表は、昭和五十年谷口雅春先生より本部講師を拝命、徳久克己先生とともに長年北米伝道本部でアメリカ光明化に尽力された。寿美夫人は谷口清超先生の次女としてお生まれになり、谷口雅春先生、輝子先生の第二回海外御巡錫(昭和四十七年)等に同行されている。
  アメリカ駐在当時の宮潭ご夫妻については、谷口雅春先生が『生長の家』誌「明窓浄机」に度々紹介されている。
  これは、徳久克己先生から尊師に宛てて出された手紙の一節だが、宮澤代表の清廉高潔な人柄が偲ばれる。
「イロイロの面でよくなりつつあります。宮澤さんのおかげで出版部の経理も確立しそうであります。二人で相談して先生の印税のお金だけは定期にして絶対に手をつけないようにしよう、と定期にしてあります。先生の御愛念の印税のお金は、最後のギリギリの時に使わしていただきます。」(五十二年十月号)
  さらに、宮澤代表を語る時、忘れてならないのは、『奇蹟を生ずる実相哲学』下巻の「はしがき」(昭和五十六年三月二十五日記)の谷口雅春先生の冒頭の御文章であろう。
「アメリカ在住の生長の家信徒で暫く日本に帰って来た宮澤潔君夫妻が私の縁族でもあるので、生長の家総裁公邸の二階に宿泊されたので、朝の神想観を倶にすることにした(本年三月七日)。その時、神想観の功徳─というよりも、実相の自覚から素晴らしい奇蹟的功徳を生ずる実例として、私は長崎に原子爆弾を落とされた時の話をした。それは聖書の中で、イエスが言っている有名な言葉『われを信ずる者は、われより大なる奇蹟を為さん』という聖語の意味についてである。」
  宮澤代表を知る人にその印象を聞くと、大抵「いつも笑顔で気さくに語りかけられる人柄は万人を包み込む暖かさがある」「普段は柔和だが、実相軸の前に座すと真剣そのもので威厳に満ちた雰囲気になる。神想観や祈りの言葉を唱える時は、まるで雅春先生が祈られているような感を受ける」という言葉が返ってくる。宮澤代表の心に今も尚、総裁公邸において尊師より直々に受けたご指導が生きている証左ではなかろうか。
  本稿を締めくくるにあたり、宮澤代表ご夫妻が手作りで発行し続けておられる生長の家オーストラリア法人の機関誌『心』に参戦された「開祖の聖霊にふれるとは」の一文をかかげる。
「谷口雅春先生がこの世にいらっしやった間に、直接、先生のご講話を拝聴したり先生の”お人柄”にふれたりすることのできた人々(私もその一人であるが)は、まことに”恵まれた”人々なのである。(略)そして”開祖に直接ふれる”という恵みを頂いた人々は、ご在世中には谷口雅春先生に一度もじかに接する機会を得なかった人々に、開祖の聖霊にふれることができるように開祖のあのお人柄と雰囲気とを、後続の人々に純粋に熱烈に鮮明にお伝えするということによって、自らが頂いた天与の”恵み”を『お福分け』すべき使命を担っているのではなかろうか。
  かくして、さらにその後の世代の人々にも次々と語り継いでゆくことによって、谷口雅春先生のすばらしい実相哲学は、単に無機物の化石のようにただ宗教史の博物館に残るのではなく、開祖の血液が脈々と流れ鼓動する”生きた教え”としての『救済力』を保持しつつ、世を救い、人を導き、国を護る宗教として末永く輝き続けることができるのである。」(『心』二〇〇三年3−4月号)
 




教団本部との裁判

護法の運動

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