平成14年12月号

宮澤寿美先生特別ご寄稿 

「御教えをいただいて」



 宮澤寿美先生より、「学ぶ誌」創刊に寄せて特別ご寄稿を戴いて、通巻第三号に載せていましたので、下記に掲載致します。


御教えをいただいて

宮澤寿美(宮澤潔夫人・谷口清超先生次女)    


  この度の「谷口雅春先生を学ぶ会」会誌の御創刊、おめでとうございます。心からの賛同の気持ちを込めまして、拙い文ですが寄稿させていただきます。

  海外に居りますと、文化と文化との接点にいるのだということをしばしば経験します。観光で海外に出かけてもそうおっしやる方は多いのですが、滞在の短い観光という形では素通りしがちな問題もあります。
  私共がオーストラリアから日本へ行く度に通る、ある免税店にMさんは勤めていられます。突然お目にかかっても、必ず丁寧にお辞儀をされるその姿勢のよいスッキリした姿の持ち主は、オーストラリアに住む、日本生まれの韓国人という、三ヵ国の文化を合せ持つ方です。Mさんはオーストラリアの生長の家に入っていられますので、勤め先のお仲間を一人、また一人とお誘いしては、夫が講師を務めている真理を学ぶ会を自宅で開いてくださっています。

  自国で生活している限りは、生まれ育った生活様式のままで違和感なく過ごせますが、ひとたび外国へ出ると、そのままの生活様式としては不調和なものとなることが多いのです。そんな海外暮らしの中で、Mさんのようにしっかりと自国の様式で接していただきますと、文化の接点にいるときにこそ取るべき態度というものが、自然と備わっていることに清々しさを感じるのでした。私もまた、日本に帰る度に「日本なのだからお辞儀を丁寧に…」と心掛けるようにしています。それでもなお、いつのまにか片手だけを軽く上げてにこっとしたりしている自分にハッと気付くことがあります。
  「お辞儀」くらいのことでしたら何も取り立てていう筋合いのものではありませんが、文化の担い手としての立場から、「日本的」であるとか「日本人として」とかの言葉を冠するとき、急に私達日本人は、公の立場に立たされ、規制された気分に陥ります。果たして私達は日本をどういうかたちで担う存在なのか、と。

  海外に住むということ自体が、一歩も二歩も日本の二文字を背負って歩み出しているわけですから、「あなたは日本をどう紹介してくれるのですか?」と海外の方から聞かれた時、自分なりの考えは用意している必要があるのです。
  そういう必要性を感じながらも私は、ただ心情的には「祖国を尊いとおもう」「日本を誇りにおもう」などの感情があっても、だからどう尊いのか、何を誇らしく思うのか、日本のなにをもって世界に貢献していくのか…などを深く吟味しないままでいました。

  アメリカ生活では、子供が生長する過程で、それぞれの子の通う学校での文化交流や日本人社会と現地の学校との摩擦解消などに協力することは日常茶飯事でしたが、それは表面の出来事を処理していくことで終始したように記憶しています。

  そしてオーストラリアでの六年が過ぎると、子供の巣立ちと共に夫の仕事関係の方々に接する機会が多くなりました。そのころ、生長の家の道場を得ました。
  夫は、そこで行う練成会には、是非とも献労が必要と思い、この土地に一番ふさわしい献労は何にしようかと考えました。乾燥の時期が長く、火事がおこりやすい土地なので、ため池を掘ろう、そしてオーストラリアに移民したヨーロッパ人が、多くの自然林を切り開いて牧畜用の野原にしてしまったこの土地を、伐採のためにいよいよ乾燥度が増し、昨今言われている温暖化ともあいまって水飢饉がおこりやすい国情を考え、できるだけの自然林、野草、水草を植えていこう、と植林の献労を取り入れました。このプロジェクトは、政府、自治体からも奨励されている自然保護にあたるものなので、その過程で、自然環境を守っている土地と団体に与えられる奨励金と標識もいただくこととなりました。ふらっと訪ねてくる人も、ため池のつくりかたなどを知りたいと興味を示してくれています。

  ところで、日本人が、オーストラリアで何のためにこういうことをしているのか… オーストラリア人は不思議に思うようです。そこで、夫は地域の自然林の復元から始めて、地球規模の話しまで持って行く説明をするのでしたが同時に、そう考える地盤は、実は私達の信仰からきていて、お教えくださったのは谷口雅春尊師なのだと、英語訳の本などを示しながら説明しました。なるほどそういう訳なのかというので、水道工事の方が『生命の実相』を読んで下さったり、練成に参加された人が図書室から本を出して来て買われたりしています。原因結果がわかりやすいので誰にでも受け入れやすいのでした。この様に実際に、行動をおこす土台に、そう考える根源に、私達はしっかりとした思想、哲学として谷口雅春尊師の御教えを頂いていることに幸せを感じています。

  長年、日本人として、海外の生長の家として自分がどう貢献したらよいかの答えの出なかった私としては、夫が示してくれたこの伝道方法は、その答えの欄を見事にピッタリと埋めてくれたようです。
  以上はオーストラリアでの経験ですが、日本人が日本人として自国あるいは世界に向けて発信するときは、またその国でしか出来ない違った方法があると思います。
  日本人はどう転んでも日本人なのですから、特殊性を持っていて当たり前なのです。
  「日本人」を隠したり「日本」そのものを軽んじたりすることなしに外国の方と接し、また文化交流の際には、特殊性のうえに立ってなお人類の普遍性をあわせもつ多くの国の人々と同じように語れるようになりたいものです。

 生長の家創立に至る、雅春先生の御努力とお気持ちを御著書から汲み取ることによって、また、初期からの積み重ねの御労苦におもいを致すことによって私達が今再び新たな活力を得、この御教えが、生き生きとした喜びのうちに日本国内は勿論ひいては世界にまでも展開して広がっていくことを願っております。




教団本部との裁判

護法の運動

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