平成16年1月号

宮澤寿美先生特別ご寄稿

  「美しい日本を讃嘆しよう」



 宮澤寿美先生より、「学ぶ誌」への掲題の特別ご寄稿を頂きました。
 寿美先生はこのご文章で、早晨、輝子先生の雅春先生との神想観前のお空を見上げての銀河系の”きょうだいよ”呼びかけられていたご様子や、朝お働きになるご様子を書かれています。そして、微を見て全を見ず日本を悪く言う学者の言に惑わされず、この異常な贖罪意識を払拭して、この日本を真に愛し、雅春先生が説かれた理想国家、ロマン溢れる美しい構図をこの日本に取り戻す、日本国實相顕現に邁進して行こうと言っておられます。



            美しい日本を讃嘆しよう

                      宮澤寿美
                       (生長の家オーストラリア法人
                         同・日本本部ときみつる會役員、
                         宮津潔氏夫人・谷口雅春先生お孫様)

 『理想世界』(昭和五十六年二月号)に谷口輝子先生は、次のようなご文章をお書き下さっている。

「            ─銀河系の同胞たち─

  毎朝五時十五分前に起き出ると、私は夫の身のまわりのことと、自分のこととを調え終ると、縁側のガラス戸をサッと開ける。大空が小屋根にさえぎられて見えにくいので、私はそこに坐りこんで、首を低くして大空を仰いで見る。(中略) 大小さまざまの星たちが無数にまばたいている。星の並び方が日ごとに変化していく。
  まるで生きもののように、星たちの位置が毎朝移り変っている。星たちは、毎朝我が庭を訪れて、大空高く遊歩しているようである。地球と同じ銀河系宇宙に住む星たちだもの、私たちの仲間なのである。
  私たちが、はるばると出かけて行かなくとも、彼ら星たちは、何億という大多数で、毎日私たちの庭へやって来てくれる。楽しいことではないか。
  私は月の世界に足をかけようとは欲しない。生きている間に、「月の世界にお連れしましょう」と誘われる時代が来るかも知れないが、私は行きたいとは思わない。索莫たる砂漠のような月世界を踏むよりも、地球世界から、神々しく輝く月を仰いでいる方が楽しいと思う。富士山だってそうである。紙屑と空鑵のゴロゴロしているという山上を歩くよりも、白雪をかむった崇高な姿を、はるかに遠く下界から仰ぐ方が、心が清まるような心地がする。

  谷口輝子先生は、昭和五十一年七十九歳の時、長崎の総本山の公邸にお住まいを移されるまで、東京のご自宅で、早朝神想観を終えられると割烹着を召され、髪を手拭で整え、毎朝決められた場所のお掃除をされていた。風の日も、雪の日も、こんな湿っぽい…と思われる雨の日も、ご文章にあるようにサッと戸を開け放ち、調子のよい音をたててハタキをかけ、掃きだし、廊下や柱を力をこめて拭いていられた姿を思い出す。
  定期的に畳の拭き掃除もあって、私もお手伝いに上がって拭いていると、「そんなんじやなく、もっと力を入れて!」と、拭き方やネル地の雑巾の使い方を教えられた。
  このご文章に接した時、雅春先生と共に神想観をなさるまでのわずかなひと時、お縁側で、東の空の明けゆく前の居残った薄い色の星たちに、思いを寄せて語りかけていられたことを知らされた。

  生長の家オーストラリア法人の境内地は、メルボルンから一時間南下した田舎にあるので、夜空の星のまたたきは引き込まれるような力がある。
  電灯も田舎のこととて少ないから、見上げれば、天の川が雄大に横切り、南十字星など見知った星々が無数の大小の星をまわりにちりばめてまるで降るようである。月も刻々と位置を変え、霞んでそこだけが明るい時も柳眉のようにかすかな時もある。仰ぎ見ていると、突然地球が狭くなって人間世界を見おろす、何ものか大いなる存在の気配を感じるひと時だ。

  これら銀河系に展開する星雲や惑星に、輝子先生が「きょうだい」と親しく呼びかけられたように、また、日本の麗しい姿を象徴するような富士山を日本人が古くから愛してきたように、はるかに遠くから、美しいものを美しいとして讃美することは、そのものを顕微鏡で拡大して分析したり、データを収集して科学的に結論付けるような分野とはまた別の、ロマンに満ち夢ふくらむかけがえのない情緒に心が洗われる。この美しさこそ、本物の「実相世界」の現成の姿そのものではないだろうか。

  日本の歴史における戦争の取り上げ方にしても、一部の歴史学者や扇動された人々などは、少しもゆるがせにしないと日本の過去の戦争犯罪を洗い出し糾弾するけれども、事実かどうかも判明できていない事まで取り上げ同胞を断罪するような心境と仕打ちは、その人自身にまわりまわって、故郷を厭い、突き放し、愛しないその行為にも似た、不遇な環境を周囲にも導き出すのではないだろうか。
  愛をもって自己を観、相手を観、自国を想い、他国をおもんぱかる気持ちは大切だ。
  オーストラリアは、先の大戦では、日本の敵国であったけれど、今は経済文化交流は無論のこと、自衛隊と豪軍隊とが共同演習を行うのだから、国交は良好のようだ。
  この国のテレビ放送で、ある時百十歳の旧軍人のバースデーパーティーが報じられた。

  縁者にかこまれ、後輩や軍属の面々に祝われて、まだまだ元気でいたいと言う。そのニュースを見ながら、ふと日本の場合を考えた。旧日本軍がないのだから軍服を着て祝われることはないにしても、軍人さんとしてニュースに取り上げるだろうか。外国には、勝敗と関係なく、「国のために」なされた行為にたいして、ねぎらいと感謝の気持ちを最大限表現する正常な感覚が、当たり前なことだが、ある。わが日本も、異常な贈罪意識を払拭して、どこの国にもないような「自虐」の裁きあいに、早い機会に終止符を打てる日が来て欲しい。

  それには、「谷口雅春先生を学ぶ」会など、心ある方々の発言や行動によって、国民としての良識と責任を持つ本来の心意気をとり戻し、雅春先生によって理想の国・日本の国を、また世界の姿を、ロマン溢れる美しい構図として教えられたことに誇りを持って、個人の修養のみで終わらすことなく、美しいわが国の実相顕現を願い、銀河系にまで「きょうだい」と呼びかけていく大愛の光明化運動が弘がるように努力したい。

  (生長の家オーストラリア法人及び同日本本部「ときみつる會」機関誌『心』
     二〇〇三年十一月─十二月号
                 「谷口輝子先生のおもいで」に掲載したものに加筆)


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