平成15年7月号

『台湾人と日本精神』出版中止裁判の    

 
     「全面勝訴」は「真っ赤な虚偽宣伝」

「台湾人と日本精神」一方的出版中止に対する訴訟の第二審で、東京高裁は日本教文社と谷口雅宣副総裁(当時)に対し、下記「和解条項」の産経新聞への謹告(社告)掲載を命じ、原告と被告との和解を勧告し、両者の和解が成立しました。これは、和解と言っても、社告のようなものを新聞へ載せる命令が出たことは、被告の敗訴に等しい内容でした。
  しかし、谷口雅宣副総裁は「全面勝訴した」とホームページや聖使命新聞に虚偽の宣伝を繰り広げました。
  ここに、その顛末の記事を掲載します。


『台湾人と日本精神』出版中止裁判の「全面勝訴」は「真っ赤な虚偽宣伝」

  最近、生長の家教団は、聖使命新聞(五月一日号)、「生長の家白鳩会」誌(六月号)、谷口雅宣副総裁のホームページなど教団のメディアを総動員して、蔡焜燦氏(原告)と谷口雅宣副総裁・日本教文社(被告)との間で争われていた裁判に「全面勝訴した」と書き立てており、異常なほどの大宣伝活動を行っている。しかし、これまでに本誌出版部に寄せられた各方面からの資料を総合的に検討した結果、被告側の「全面勝訴」どころか敗訴に等しい内容であることが判明した。
  従って、一連の教団側の言動は許し難い一方的な虚偽宣伝であり、教団挙げてこのような虚偽宣伝工作を指示・実行し得る人物は谷口雅宜副総裁以外にはあり得ない。従って谷口雅宣副総裁のこのようなやり方は独裁者の手法と同じであり、宗教を語る以前の一般社会の道徳にも惇ると言わざるを得ない。このような虚偽宣伝を平然と指示・実行する副総裁であってみれば、『台湾人と日本精神』を強引に出版中止にさせたのは谷口雅宣副総裁であったとの傍証を自ら提供しているに等しい。今回、紙幅の関係もあり、人手した資料の要点だけを摘記し、事実関係をまとめた。 (出版部)

  この裁判は東京高等裁判所の斡旋による「和解」によって裁判が終結したものである。東京高裁の「和解条項」は末尾に掲げた。

事実経過の要約

  平成十二年七月に日本教文社より出版された蔡焜燦氏著『台湾人と日本精神』は、平成十三年三月七日の日本教文社取締役会で販売中止の決定を下すと同時に、新聞紙上にてその旨を告知することをも決定した。その取締役会参加者は、日本教文社常勤取締役四名に非常勤取締役三名(谷口稚宣副総裁・磯部和男理事・三浦晃太郎理事)の計七名であった。取締役会終了後、岸社長が著者である蔡焜燦氏に電話し販売中止と社告掲載の了解を求めた。しかし蔡焜燦氏はこれを了承しないにもかかわらず被告側は取締役会決定を実行した。これに対して、蔡焜燦氏は平成十三年五月、名誉毀損と販売中止の実行責任者であるとして谷口雅宣副総裁を、実行主体であるとして日本教文社を東京地方裁判所に提訴した。地裁の判決が平成十四年十一月に出され、原告側の主張を退け被告側の勝訴とした。これに対し、原告側は直ちに東京高裁に控訴し、東京高裁は平成十五年四月に原告・被告に「和解条項」を提示した上で和解を勧告し、双方これを受諾し、裁判は終了した。

日本教文社は「謝罪」を義務づけられた

 先ず、日本教文社について言えば、被告側の主張を要約すれば「控訴取り下げにより、実質的に全面勝訴となったが、形式的には和解の形をとって円満解決することにした。そして、その旨を四月二十三日の産経新聞朝刊の日本教文社広告欄に『謹告』(下記)を掲載し、読者並びに関係各位に報告することになった」(五月一日付聖使命新聞)と言っている。
  しかし、ここにいう「控訴取り下げ」は、高裁において「和解」すれば当然控訴は取り下げられるわけで、「和解」と無関係で蔡氏が自ら控訴を取り下げたわけではない。「控訴取り下げにより、実質的に全面勝訴」などというのは、まったくの虚偽である。
  これが虚偽であることは、日本教文社が高裁において「勝訴」の見通しがあったなら、和解に応じず高裁の判決を求めればよいわけで、誰にでも分かる話である。和解に応じざるを得ない事情があったからこそ、和解したということを言いつくろっているに過ぎない。

           

 以上のことは、日本教文社が、「四月二十三日の産経新聞朝刊の広告欄」(二九頁写真参照)に出した「謹告」が、どういう理由で掲載されたのかを見れば明白である。

           

  被告側は、何か自主的に「謹告」を掲載したかのように書いているが、実は、裁判所が決定した「和解条項」(二九頁参照)によって、「謹告」を掲載したのである。蔡氏は裁判当初から「謝罪」を賠償以上に強く求めていた。それが「遺憾に存じています」の一句が入った「謹告」掲載が日本教文社に義務づけられたのであるから、蔡氏の実質的勝利以外の何者でもない。それを被告側が「全面勝訴」と主張するのは虚偽の宣伝という他ない。
    ※この点は、高等裁判所が発行した「和解条項」を読めば、直ちに明かになるところである。
    掲載された「謹告」が、蔡氏の出版停止を決定した「謹告」とまったく同じ形式で掲載され
    たことをみれば、日本教文社が自主的に掲載したものでないことは誰の目にも明らかである。
    また、被告側は隠しているが、「和解条項」において、裁判費用は「各自負担」と決定され
    ている。蔡氏側が事実上の敗訴なら「控訴人(蔡氏)負担」となるはずで、日本教文社が自ら
    の分の裁判費用を負担していながら、「勝訴」というのはあり得ない話である。

 損害賠償請求訴訟の場合、勝訴しても裁判所は金銭による賠償は認めるが、新聞に掲載する「社告」のようなものはほとんど認めないのが通例である。
  しかし、日本教文社の場合、和解条項のなかで「謹告」の掲載が義務づけられた。和解には「勝敗」はないと言われるが、これは実質的には日本教文社の「敗訴」と言うのが常識である。
 

 谷口雅宣副総裁については、「和解」と同時に控訴が取り下げられた。しかし、副総裁に責任が何もないかのように主張するのは、これもまた厚かましい宣伝である。
  確かに、ホームページによる名誉毀損問題については、東京地方裁判所は名誉毀損に当たらないと判断した。しかし、それは法的責任を問われないというだけの話であって、宗教団体の責任者が、法的責任を問われないからと言って、こんな勝手な誹膀をしてよいのかという道義的責任や、生長の家の宗教信条とこのホームページの言説とが矛盾するのではないかという宗教上の責任を免れたわけではない。
 

 また、谷口雅宣副総裁はホームページによる名誉毀損だけを取り上げ、日本教文社が行った不法行為に副総裁も責任があるとして訴えられていたという、もう一つの論点については、触れれたくないということであろうか、沈黙している。
  実は、日本教文社が行った販売中止に関する「谷口雅宣副総裁の責任」という点については、裁判所は責任ありとも責任なしとも判断を下していないのである。一審では、日本教文社が行った販売中止は不法行為とまでは言えないと判断したために(この点は事実誤認であり、法解釈の誤りでもあるがここでは触れない)、裁判所は谷口雅宣被告の不法行為への連帯責任に関して何も判断を下していない。
  二審では、「和解」に至ったために(事実上は日本教文社の敗訴)、ここでも副総裁の責任は論議されていない。
  その意味で、谷口雅宣副総裁がいうような「原告が控訴を取り下げたことで、第一審判決が確定しました」とか「全面勝訴です」というのは事実を歪曲するものである。むしろ、自らの行為によって引き起こした訴訟において、法的責任が問われなかったことを、事実をねじ曲げてまで「全面勝訴です」などと手放しで喜んでいる谷口雅宣副総裁の姿こそ、まさに宗教者としての資格・資質に欠けることを証明したものと言える。


東京高裁の「和解条項」

            




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