平成15年10月号

天の谷口雅春先生は泣いておられる (下)

─ 「谷口雅春先生を学ぶ」誌を読んで感あり ─

「台湾人と日本精神」著者の蔡焜燦先生とのインタビュー形式でのご寄稿を三回に分けて掲載します。
蔡焜燦先生は 『台湾人と日本精神』の販売中止を巡っての裁判は最終的に和解 とされたが、 谷口雅宣副総裁(現三代目総裁)が「前面勝訴」と勝手に主張としている事に対し、正しい経緯を述べておく必要があると考えられ、ご寄稿をされました。


蔡焜燦先生 ご寄稿 (下)

── 『台湾入と日本精神』をなぜあれほどむきになって販売中止にしたのか、いまだにその理由がピンときません。まるで、昨今流行のサーズにでも怖がっているような感じがします。台湾で騒がれた小林よしのり氏の『台湾論』でさえ、言論の自由によって販売中止にはなっていないのに、「台湾に於いてはこの本が”政争の具”の観を呈してきた」と虚言を弄してまで販売中止にしたのか、本当に理解に苦しむところです。一説には、谷口雅宣氏が中国投資をしているので中国当局から睨まれるのを恐れたからという話まで聞きました。
 訴訟を起こすか起こさないかの時点でずっと考えていましたが、日本教文社は色々な本を出版してきたでしょうが、谷口雅春先生のご著書をはじめとする宗教書を除き、一般書の本の中では私の本が売り上げトベフクラスだったんです。最近、三代目さんは何やら小説まで書いているようですが、私の本に嫉妬して出版中止にしたのではないかと勘ぐったほどでした。そうでも考えなければ理由が分からないのです。
  はじめは中国からの圧力かと思いましたが、私よりももっと激しい書き方をしている人はたくさんいます。例えば、黄文雄さんは光文社から本をたくさん出していますが、中国が光文社へ圧力を掛けたという話は聞いておりません。
  ですから日本教文社へ圧力が掛かったとも思えませんし、仮に掛かったとしても天下の日本教文社ですから、簡単に屈するとも思えません。とすると、残るのは三代目さんの鶴の一声だったとしか考えられません。彼のホームページからも分かるように私の本には批判的でしたから。まして日本教文社の人たちと私はとてもいい関係でしたから。
  副総裁のホームページの言葉を引用しますと、「また、著者がその目的を強調するあまり、中国本土の人のことを悪しざまに書いている箇所が、人々から批判されるようになった」とあります。この言葉にはひどく心を傷つけられました。この人は、他人の著書を自分の一存で販売中止にするためには、ありもしないことを平気で作り上げるのか、と寒々とした気持ちになりました。この人は、かつて自分に反論を述べる人に向って、「重大な決定をする場合は、その言葉に対して責任を取れるような書き方をしてほしいのである」といったことを書いています。まったくその通り同じことをこの人に申し上げたい。台湾で問題にもなっていない本が、どうして人々から批判されるのか。その「人々」とはいったいどこの誰なのか。また、私が本の中に書いたことは、戦後台湾にやって来て、台湾人に対して実際に行った大変非道な行為を行った一部の中国人のことを書いただけです。そのことは当時の台湾人の多くが味わった苦しみであり、多くの台湾人の口から間くことができるはずです。私は事実を書いたまでで「目的を強調するあまり」などという表現はまったくの中傷であり、陰険な書き方です。
  私の本を販売中止にするという「目的を強調するあまり」、台湾で問題にもなっていない本を「政争の具になっている」とし、人々から批判されてもいない、それどころか多くの人が涙ながらに読んでくださった私の本を「批判されている」として勝手に理由をでっちあげて発表することに、彼は良心の痛みを感じないのでしょうか。まして、谷口清超総裁も褒めてくださっているのです。親御さんのお気持ちをも無視した彼の勝手な振る舞いに、空恐ろしいものを感じます。
  李登輝閣下が総統になられて言論は自由になりましたが、蒋介石政権による戒厳令は三十八年間に及びました。これは世界一長い期間の戒厳令です。その戒厳令下の白色テロの時代、なぜ白色かと言えば共産党の「赤色」に対する蒋介石の「白色」という意味ですが、その時代、「蒋介石」と呼び捨てにしただけで当局に引っ張られました。そのことは私の本にも「幌馬車の歌」を紹介した部分に書きましたが、当時、日本から来る新聞は日本人しか読めませんでした。私は日本人と一緒に仕事をしていましたので読んでおりましたが、例えば毛沢東の写真が新聞に出ていたら、匪賊の「匪」を印した大きなハンコを押して、クレヨンで顔写真を塗りつぶしていました。そのクレヨンをきれいに削って元の写真を復元したりするんです。ことに「リーダーズダイジェスト」誌などは紙質がいいものですから、クレヨンを削って電燈に透かすとちゃんと読めました。
  私はそういう事実を書いただけで、決して中国人を悪し様に書いてはいません。私は昔から台湾を台湾人の国だと思っています。だから祖国台湾と言って来ました。日本は「かつての祖国」です。「かつての祖国」と言っているのは私だけではありません。李登輝閣下も言っておられます。私の本のラストは「祖国台湾の独立を見ずして永眠された諸先輩に、この本を捧げる」と書きましたが、それが独立運動だと言うのなら、三代目さん、学問がない、台湾にまったく無知である、と言うほかありません。

── それは、蔡先生とまったく立場を異にする人の意見だということですね。

 違います。彼は台湾独立に反対できる資格も能力も知識もありません。本当に何も分かっていない。「あとがき」に書きました「イラー、フオルモサ」、「麗しの島」という意味ですが、私が外国から台湾に帰って来るとき、飛行機から見る台湾島は本当に美しい。機上からこの美しい台湾を見回していますと、思わず武田節の二番の歌詞が私の目をついて出てきます。「祖霊ましますこの山河、敵に踏ませてなるものか・・・」、その気持ちを踏まえて「このすばらしい祖国台湾を中国に盗られてたまるものか」と「あとがき」に書いたのです。
  これを指して私が政治運動をやっていると言うのなら、谷口雅春先生が「日本を守るためなら生長の家の一つや二つを潰してもかまわない」とおっしやったことも政治運動になってしまいます。谷口雅春先生は本当にご立派でした。宗教家としてだけでなく、祖国を愛する一日本人としてもご立派でした。本当に谷口雅春先生を尊敬申し上げます。生長の家の立教は昭和五年ですが、私はその前年の昭和四年末にご夫婦でその準備を始められたご苦労も聞いています。こんな立派な先生、「われは『完成の燈台』に燈を点ずるものである」との啓示を受けられたご立派な谷口雅春先生が始められた生長の家は、燈台に正しい燈を燈し続けなければなりません。今の三代目は明らかに間違った燈を燈そうとしています。

── 蔡先生は裁判沙汰が大嫌いと伺っていますが、なぜあえて告訴に踏み切られたかをお伺いしたい。

 はじめ、日本教文社はともかく、谷口雅宣氏のホームページの内容などを知るにつけ、こんな人を相手に告訴するなど、こちらの人格が引き下げられると思いました。私はいままで法廷に立ったことなどない人間ですし、裁判沙汰なんて大嫌いでした。しかし今回の場合、私の尊敬する谷口雅春先生のご著書すらこの三代目が次々に絶版にしていると聞き及びまして、果たしてこのまま放置しておいていいのかという気持ちがありました。しかし、私は生長の家の会員ではありませんから躊躇もしました。ただ、台湾に対する認識のなさ、偏見による言論封じの措置には、私個人の怒り以上に公憤を感じました。
  そこで著名な高池勝彦弁護士に一切をお任せして三代目と日本教文社を訴える決心を致しました。その間にも、台湾や日本の友人・知人、クリスチャンの方々や生長の家の信徒さん、本当に多くの方々からこのような不正を放置せず提訴すべきだと言われました。また生長の家の事情に詳しい方々で現在の生長の家のあり方に憤慨されている方々からも生長の家を建て直すために一石を投じて下さいと頼まれました。私は、はじめ損害賠償が目的ではありませんでしたから、損害賠償金は一円にしてくださいと高池弁護士にお願いしたほどでした。私はめったに「絶対」という言葉を使いませんが、この裁判は絶対勝訴すると思いましたから、損害賠償金は日本で慈善事業に使って頂こうと決めていました。私の本は半年間で三万部売れましたが、その印税はすべて日本のある学術団体の応援に回しておりました。

── 蔡先生は心情的には日本教文社ではなく、谷口雅宣氏を訴えたのですね。

 裁判をしたくなかった理由の一つはそこにありました。日本教文社に電話をしても、はじめに出る女性社員の受け答えはとても気持ちがいいんですよ。「はい、ありがとうございます」の言葉がトップに出るんです。聞いただけで心がスーッとしました。そういうまじめに仕事をしている社員の方々のことがありました。出版した年の九月に出版記念パーティを開いて下さり、約四百人の方々が来てくださいました。その時、はじめて作家の阿川弘之先生にもお会いし、今に続くご厚情をいただいております。本当に素晴しい先生です。そんな記念パーティに、事前の準備や会場での受付や裏方の仕事を真面目に真心でお世話してくださっているのを見ていましたし、先はどの電話の応対のように、とても気持ちのいい人たちがリストラされたり、左遷されたりするようなことにでもなったらと、心配でした。迷惑を掛けたくないという気持ちがありました。
  裁判が始まって、私は生まれて初めて法廷に立ちました。昨年は私の体調が大変悪く、本当に死ぬ覚悟で日本に行き、法廷に立ちました。相手の弁護士も二人来ましたが、日本の弁護士ともあろう者が、なぜこんな変な質問をするのかと思いました。かわいそうな弁護士だなと思いました。ただ、残念なことに東京地裁では私の主張は通りませんでした。それは、私が販売中止に同意したことにさせられたからです。私は同意しておりません。「了承できない、再度熟考をお願いする」と日本教文社に伝えたのです。私は「販売を中止すると言うなら、静かに安楽死させればいいではないか。社告は出してはいけない」と言ったのです。ですから、私の言う通り、社告を出さずに安楽死させていたなら、私は黙っていたことでしょう。ところが社告を出した。それもつまらない社告です。しかも、その社告に先駆けて三代目さんがホームページに書いた。私に関する内容はデタラメで、明らかな中傷です。しかし、残念ながらホームページでの名誉毀損問題で東京地裁は「名誉毀損に当らない」としました。ホームページでは何を言ってもかまわないということのようですね。
  そこで私は東京高裁に控訴しました。大変優秀な内田弁護士も加わってくださり、今度こそ勝訴になると踏んでいました。ところが東京高裁は双方に和解を勧告してきました。問くところによると、東京高裁は被告側にかなり強い調子で和解を迫ったそうです。それが、ほとんど前例のない東京高裁の「社告掲載」を条件にした和解案となったようです。この和解案では被告側は負けに等しい和解案ですから、それを受け入れたというのは相当第二審の判決には自信がなかったものと思います。私の方でも東京高裁では勝てると思っておりましたが、もとより争いごとの嫌いな私ですし、勝ちに等しい和解案で新聞に「謝罪広告」を掲載するというのですから、和解に応じることにしました。和解に応じれば、三代目さんの問題も自動的に消えてしまいますが、日本教文社の非が明らかになれば、生長の家の内情を少しでも知っている方なら、私の著書の販売中止を誰が実際に命令したかは自ずと明らかになると考えました。宗教団体のトップが、その傘下の出版社に何の影響力もない、などとは誰も考えないでしょうから。

── 三代目のホームページは私も読みましたが、大変失礼な内容で実際にありもしないことを書いて人を陥れるという大変卑怯な方法ですね。蔡先生がご本の中で言われる「日本精神」に著しく反する行為ですね。しかも、まだ懲りずにホームページでは「自分達の勝訴だ」と書いています。

 かわいそうです。悲しいです。その一言に尽きます。三代目は、初代・谷口雅春先生、第二代・谷口清超先生の説いておられる「先祖を崇め、国を愛せよ」という教えをしっかり受け継いでもらいたいものと心から思います。ことに、「国を愛する」ことは大事なことです。「日本精神」を「死語」にしないでほしいですね。日本精神が「死語」だの「恐喝や桐喝の言葉」だのと言われることは、元日本人の私にとってこれほど悲しいことはないのですから。
  最後に、私がなぜこのようなことをお話したかと言いますと、世界の生長の家が「売り家と唐様で書く三代目」にならないことを祈るからです。だから、実名であえて私の発言を投稿いたしました。私の発言に対しましてはすべての言責(文責)をとります。正しいことには勇気をもって進みましょう。必ず生長の家は甦ると信じております・ありがとうございました。







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