平成19年9月号(60号)

コラム 生長の家はいま

「炭素ゼロ」は総本山潰しの布石?


 下記に、平成19年9月号に「コラム 生長の家はいま」に谷口雅宣氏の「炭素ゼロ」運動は総本山潰しの布石か、と題する文章が載りました。 コラムの文章をお読み頂きたいと思います。


  「森のオフィス」は、「本部」移転のための布石としてあった。そして今、「炭素ゼロ」は「生長の家総本山」潰しの布石としてある、と言ったら「えっ」と怪訝(けげん)に思われるであろうか。
  思えば、総本山ご造営中、副総裁は教団とは全く無縁のところにいた。当然、総本山には何の思い入れもなかったであろう。「無用の長物」ぐらいにしか思っていなかったのかもしれない。 仄聞(そくぶん)くするところによれば、副総裁はその当時、周辺に「何でああいうものを造るのか、理解できない」と洩らしたことがあるとか。それでなくても、谷口雅春先生を慕う者を「原理主義者」として排除する副総裁である。総本山の存在を快く思っていないことは想橡に難くない。

  そもそも龍宮住吉本宮のご神体からして気に入らないはずだ。何と旨ってもそれは「護国の神剣」なのだから。「七つの燈台」に刻まれた名称だって、「今の教え」に立てば、できるものなら変更したいはずだ。 「天孫降臨皇御国成就燈」などは特にそうだろう。しかし、だからといって、それを正面切って言うことはできない。そこで持ち出されたのが、「炭素ゼロ」というわけだ。

 周知のように、総本山は長崎という日本の最西端にある。遠方の教区から行こうとすれば、どうしても航空機を使用しなければならない。「炭素ゼロ」を錦の御旗にして、航空機使用に歯止めをかければ、必然、総本山に参る信徒に制限をかけることができる。
  その手始めが、去る六月十七日の「谷口雅春先生二十二年祭」であった。本部からは、参議長と理事長のみ。これまでのような理事、参議の参列はなかった。これで、総本山に参ることは「炭素ゼロ」に反するという空気が決定的となった。

 先に団体参拝練成会には、組織の会員しか参加できないという網がかけられたが、今後、更にその傾向が強まるであろう。さしずめ、十一月の秋季大祭、参加資格が限定されるやもしれない。「炭素ゼロ」を推進すればするほど、論理的にそうならざるをえないからだ。総本山から信徒の足がこうしてどんどんと遠のいていく。必然、総本山が荒れていく。
だから、「炭素ゼロ」は総本山潰しの布石にほかならないと言うのだ。

 ともあれ、副総裁のしてきたことをみれば、すべてが谷口雅春先生の手がけられたことを否定する情念から発していることが容易に見て取れる。谷口雅春先生は、聖典を「神殿」と仰った。まず、その「神殿」を絶版処分という形で葬り去った。

その次が本部移転で、本部会館がこの五年の内に破壊される。そして、今度は総本山潰しだ。
  よくもまあ、これだけのあこぎなことを平然とやれるものだとあきれかえる。総本山に「奥津城」がある限り、総本山は「原理主義者」のメツ力となる畏れなしとしない。それを最も忌み嫌う副総裁のことだ。既にその脳裏には、案外、「奥津城」の移転だって構想されているやもしれない。
  「まさか、そんなことまでは」そうあってほしいが、しかし悲しいかな、それが当たるような予感がしてならないのだ…。(Ψ)


環境問題、炭素0問題

護法の運動

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