平成19年10月号(61号)

副総裁に問う!

生長の家の解体・日本国家否定のための 「手段としての環境運動」



 下記に、平成19年10月号に載った「副総裁に問う!」に谷口雅宣氏の行動の根底にあるもの書かれています。



1.立教以来、最大の危機にある生長の家

 いよいよ、ここにきて谷口雅宣生長の家副総裁の環境運動の本質が明らかになってきたと言わざるを得ない。

  結論から先に言うと、副総裁の環境運動なるものは、本来の生長の家のみ教えを土台とした運動などでは決してなく、生長の家の解体、日本国家否定のための「手段としての環境運動」であるということである。そして、副総裁は、それを明確に意識的に行っているということである。つまり、副総裁は、自分のある観念、イデオロギーを土台にして、生長の家のみ教えも、生長の家の組織も、権力として握った生長の家副総裁という立場を利用して新たな「革命運動」を実行しているということなのである。

  恐るべきことである。しかし、この現状をしっかりと見定めることによって、必ずや、神さまの大いなる導きと生長の家のすべての信徒の自覚と協力とによって生長の家立教以来の最大の危機を克服できると信じているのである。

2.憲法改正反対などの副総裁のブログに表現されている本音

 副総裁の本音は、白身のブログに常に表現されている。そこでは、生長の家は、政治運動にはかかわらないし、政治的主張はしないとこれまで言ってきたにもかかわらず、本人白身は、環境運動を盾にした政治にかかわる誤った独善的な主張を続けているのである。

 平成十九年四月十九日の副総裁のブログの一文である。

 「安倍首相は憲法改正に力コブを入れているようだが、どんなに強力な軍隊をもっても、地球温暖化は防止できない。隣国を仮想敵国に見立てて軍備を増強するという考え方は、前世紀の国防思想である。地球温暖化は国の安全保障の問題でもあることをしっかりと認識し、京都議定書の約束履行はもちろん、“京都後”の温暖化防止のためにも積極的な役割を果たしてもらいたいものである」

 次に紹介するのは、平成十八年八月三十一日の副総裁のブログである。

 「五輪の東京開催に反対する。『朝日新聞』には、これを伝える記事のすぐ脇に『都知事選、石原氏出馬明言』という見出しが並び、石原慎太郎氏( 73 )が同日に来春の都知事選に3選を目指して立候補する考えを明らかにしたと書いてあるから結局、石原都知事が『東京開催を目指す』ということか。…東京都知事が都民の意志を代表していると考えてのことならば、東京五輪に反対の私は、石原氏の3選に反対しなければならない。」

 この二つのブログは、副総裁の考え方、政治的主張を読み解く上で重要である。つまり、本音がでているのである。 環境問題を口実に、安倍首相の憲法改正への姿勢を批判し、石原都知事の三選に反対しているわけである。 しかし、副総裁の本音は、まず何よりも憲法改正反対なのであり、とくに九条改正反対ということなのである。

 その憲法改正が現実の政治日程に上がり始めている大きな潮流の中心にあるのが、日本を代表する二人の政治家、安倍晋三首相と石原慎太郎都知事であるが故に、副総裁は敵意をむきだしにしたということなのだ。

 実際には、安倍首相も、石原都知事も、環境保全に積極的に収り組み、実績をあげているにもかかわらず、「日時計主義」といいながら二人の政治家を批判するばかりなのは、副総裁の政治的主張と違う「敵」と位置づけているからなのである。アメリカ共和党のブッシュ大統領を口を極めて批判するのも同じ文脈である。

3.環境破壊に驀進する共産党独裁国家中国をなぜ批判しないのか

 「環境問題」を本当にいうのなら、環境破壊に驀進する「環境破壊大国」とでもいうべき共産党独裁国家中国こそ批判すべきなのに、それがないばかりか、次のようなブログをのせるのである。

「『和諧世界』を表現する(2007年3月5日)
 中国の全国人民代表大会(全人代)が始まり、温家宝首相が『政府活動報告』なるものを発表した。
…また、胡錦濤主席が2005年9月の国連演説で使った『和諧世界』という旨葉を使い、この実現を国内のみならず、外交政策として追求していく姿勢を明確にした。…ここには、キリスト教的にいえば“予定調和”に似たもの、つまり、『世界は正しく運営されれば、すべてが調和した関係になるように予め設計されている』というような前提が感じられるのである。
  …中国政府が『官製の信仰』を推進していることは、ローマカトリック教会との関係に触れたときに書いたが、この『和諧世界』の考え方を一種の“国教”として勧めようとしていると考えるのは穿ちすぎだろうか。」

 副総裁は、中国共産党へのおそるべき幻想というべきか、さらには、特別な親愛の情でもあるのかと疑われるほどの驚くべき内容である。
  世界史上最も人民を虫けらのごとく虐殺し、その虐殺総数は、七千万人を超えると主張する学者(ジャン・ルイ・マルゴラン)もあるばどの中国共産党である。その意味では、来年の北京オリンピックは、本当に真正銘のジェノサイド(虐殺)オリンピツクなのである。チベットでの虐殺も決して忘れてはならない。
  そればかりではない。環境破壊で、多くの中国人民が次々に死んでいるのは周知の事実であり、その環境被害が周囲の国々までおよんできているのもこれまた周知の事実である。

 日本でも、今年になって、西日本を中心に、これまでなかった光化学スモッグが連続して発生している。環境問題の専門家らは、この光化学スモッグは、中国の環境汚染が原因だと分析している。「ウオールストリートジャーナル」紙(二○○四年十二月十七目)によると「中国は今、年間六白トンもの水銀を大気中に放出している」と伝えており、中国の汚染空気は米ニューイングランド上空まで達していたと伝えているのである。
  中国発の環境汚染がいかにすさまじく、いかに広範囲に及んでいるか、の証左である。人民の「人権」などない中国大陸で今、次々と「暴動」が起こっている理由がわかろうというものである。
  この「環境破壊大国」「異常な軍備拡張国」の独裁国家中国を批判せずして、中国共産党が『和諧世界』、つまり、「調和ある世界」を実現しようとしているのではないか、とは驚くほかはない妄言である。

 このことも、実は、副総裁の政治的な考え方にかかおることなのである。つまり、今や、地球上から消滅しようとしている社会主義国への愛惜、共感の思いである。

4.異常な思想を増幅させた青山学院大学時代とコロンビア大学時代の影響

 副総裁白身が青山学院大学時代に、左派学生運動に関わり、『いちご白書』を地でいく様な体験をして、ヘルメットをかぶってデモにも参加していたことは、目撃者もいる事実である。その左派学生運動時代の英雄の一人は、「造反有理」の中国共産党の毛沢東であった。
  当時、左派学生運動にかかわった学生達も、今では、中国共産党幻想から目覚めている人の方が多いと思うが、なぜか副総裁はかつての時代のままのようである。
  ちなみに、『いちご白書』とは、一九七〇年代のアメリカ映画で、コロンビア大学を舞台にした反体制学生運動の内容で、普通の学生が反体制派の女性活動家との恋愛を通して反体制派の活動家になっていくというものである。

 そのコロンビア大学に昭和五十年から、約三年間、副総裁は留学しているのである。昭和五十三年の生長の家総本山の龍宮住古木宮建立の時に、副総裁が不在であったのは、そのためである。
  さらに、単独でコロンビア大学に留学したのではなく、青山学院大学時代の仲間(新左翼仲間と見られる)の複数人とである。
  ところで、コロンビア大学は、中西輝政京大教授が最近、詳述されているが、戦前ドイツからアメリカに大挙亡命した「フランクフルト学派」の拠点である。いわゆる、ネオ・マルクス主義者で、先進社会における新しいマルクス主義革命はいかにあるべきかを研究してきた学派である。

5.神の御心に反する企ては、必ず破砕されるであろう。

 日本の左派学生運動にも影響を与えてきた「フランクフルト学派」の考え方を副総裁は、そのまま実践しているともいえるのである。
  『今こそ自然から学ぼう』の二一二頁に、元第一次ブント(共産主義者同盟)の活動家であった加藤尚武氏の『環境倫理学』を紹介し、「現代人の“常識”とされていた自由主義、民主主義の考え方に根底から疑問を投げかけている。」のがすばらしいというのだ。ここにも学生時代からの左翼思想と左翼活動との連続性を見ることができる。そして、「環境倫理学の三原則」(@自然の生存権の認知 A地球全体主義 B世代間倫理の尊重)こそが、環境保全運動における唯一絶対的真理のごとく、いつも副総裁は説くのである。
  しかし、それは、極めて独善的な考え方である。特に「地球全体主義」については、「国家否定」「新しいマルクス主義」「環境ファシズム」として批判する学者が多いのである。
  また、現在、「環境革命派」と自ら称して、「新しい革命運動をつくろう」などと呼びかけているブント(共産主義者同盟)(荒派と呼ばれている)も、加藤尚武氏の『環境倫理学』に依拠しているというのだから、副総裁と左派としての思想の根は一緒ということである。
  つまり、「環境」というのは手段で、「革命」の方が本願なのである。

  こうした、副総裁の異常さを象徴するブログを最後に紹介しよう。
  石原都知事が、都知事選で圧勝したあとの副総裁のブログである。

 「民主主義の限界について(2007年4月9目)
  現世代の人間の決定はどうしても現世代中心になり未来の問題の解決は後延ばしになっていくのである。
  これは現代民主主義制度の構造的欠陥である。…石原慎太郎氏が三選を果たした。…世代間倫理など、多くの選挙民には無縁なのだ。」

 副総裁は、石原氏を選んだ部民は、「環境倫理学」を理解しない愚か者といいたいのであろうか。しかし、本当の愚か者は、一体、誰であるのかをよく知っているのは、石原氏に投票した東京都民のぼとんどの生長の家信徒なのではなかろうか。

  いずれにせよ、神の御心に反する企ては、結局は破砕されるほかはないのである。


環境問題、炭素0問題

護法の運動

総合目次へ