平成15年9月号
大東亜戦争と谷口雅春先生 (1) 神示によって示された大東亜戦争 |
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広岡勝次氏論文 |
雅宣氏と雅宣氏率いる現教団は、谷口雅春先生の愛国書のみ次々絶版にし、一般信徒からみ教えの大事な骨格の日本国実相顕現の書を隠してしまう、卑劣且つ姑息な強権を実施しています。 この事を深く憂えられた広岡勝次氏は、日本は「侵略国」 であると一方的に日本を断罪し、自分に都合の悪い事を隠蔽・抹殺するやり方はソ連、中共、北朝鮮の革命政権と同じやり口であり、生長の家は「革命の徒」に成り下がってしまったと、雅宣氏の「侵略戦争」論に対する徹底的論破を始められました。 先ず、神示に預言されていた日本と英米支との満洲事変、支那事変、 大東亜戦争の事、 そして、「迷い」 と「迷い」 が衝突して「迷い」がケミカライゼーションにより消えて行く事、そして、現象界以前の動きとして「ヒノモトの軍」(現象の日本軍の事でなく、実相の日本軍)が有色民族が自主独立する解放戦、大東亜民族の解放戦を戦った大東亜戦争は光の進軍であった事が示されています。 雅宣氏の「 『迷い』 と『「迷い』 の衝突であるから日本軍も『「迷い』 の軍隊であり間違った戦争をしたのだ 」とする 論は、いかに一面観で底浅く欺瞞に満ちたものであるかが示されています。 |
生長の家は「原理主義」ではないとか、ナショナリズムは今の時代に合はないとか、教団幹部はいろいろ理屈を握ねてはゐるが、雅春先生といふお方は生長の家にとっては、云はば「教祖」に当る方ではないのか。”時代に合はない”からといって、政治方面の御著書だけを絶版にすることが許されるのか。自らに都合の悪い歴史は隠蔽・抹殺するといふのでは、旧ソ連や中共・北朝鮮等の革命政権のやり□と少しも変らないではないか。わが教団は何時から「革命の徒」に成り果てたのかと、雅春先生は草葉の陰で泣いてをられるに違ひない。 剰(あまつさ)へ、谷口雅宣副総裁のやうに、大東亜戦争を「侵略戦争」だったと堂々と公言するに至っては、これはもう雅春先生の御教へとは似ても似っかぬ「革命的教義」といふ外はなく、正気の沙汰とは到底思はれない。細川首相以来の歴代首相が、「侵略戦争」発言を軽率にして、心ある多くの国民の顰蹙(ひんしゅく)を買ったのはつい数年前のことだが、それと同じことが現在の生長の家にも起りつつある。教団の信徒数は、近年激減の一途を辿りつつあると聞くが、また宜なるかなである。 「焚書」にも等しい扱ひを「教祖」の御者書に対してするやうでは、そしてまたそのみ教へを忠実に受け継いだ弟子達を次々に破門もしくは左遷にして憚らぬやうでは、教団も長くは持つまいと思ふのは、筆者一人の感想ではないであらう。聖書でも仏典でも、気の遠くなるやうな時の流れを超えて、キリストや釈迦の肉声が今に伝はってゐるのは、それを語り伝へた弟子たちが、教祖のみ教へを忠実に記録し、そのまま後世に残してくれたお蔭である。生長の家のやうに、まだ二代目・三代目だといふのに、もう自分達に都合の悪い教祖の著書は次々に抹殺するといふのでは、折角のみ教へも、二千年はおろか二百年と持ちはすまい。 今日では、雅春先生の愛国書を人手するだけでも、既にして容易ではない。ましてや戦前戦中の御著書ともなれば、尚更のことである。よって本連載では、現教団が葬り去った雅春先生の御著書を中心に、雅存先生が大東亜戦争を決して「侵略」とは考へてをられなかった所以を、筆者の勝手な解釈や憶測としてではなく、雅春先生に直接天降った神示や、雅春先生の書かれた御文章等、事実(ゴチックで示す)を以て明らかにしていきたい。 副総裁の大東亜戦争「侵略」論を一々論駁することも当初は考へたが、それよりも雅春先生のお考へを中心に立論する方が本筋だと思ひ直したので、その旨予(あらかじ)めお含みいただければ幸ひである。 しかしながら、この神示の全容を知る者は、当時にあっては雅春先生の他には誰もゐなかった。何故なら、どの国とどの国がこれから戦争になるかといふ神示の核心部分(○○と○○○の部分)は、雅春先生御自身のお考へで、発表当時(『生長の家』誌昭和六年八月号)から伏せられてゐたからである。また右の神示自体も、内務省の検閲に引っかかるため、その後は世に出ることはなかったのである。その間の事情は、神示から三十年も経過した昭和三十六年になって初めて、雅春先生ご自身の手でかく明らかにされてゐる。 それもその筈、当時の満州は張学良の排日運動が猖獗(しょうけつ)を極め、一触即発の不穏な情勢にあったが、支那とすぐにも戦争になるやうな気配はまだない。ましてや英米との戦争など、日本人の誰しもが、夢想だにせぬところであった。「あまりに唐突」といふ言葉は、当時の世相とこの神示との懸隔のほどを示すものだらう。「世間を騒がせてはならぬ」と、雅春先生がこれを胸底深く秘められたのも無理はないのである。 だが、神の「心のフィルム」には、英米支と戦ってゐる日本の姿が、既に後戻りの出来ない姿として、はっきり映し出されてゐたのであった。 先の神示にもあったが、雅春先生の戦争観を理解する上で、この「迷ひ(仮相)の自壊作用」といふ言葉ほど重要なものはない。幾多の神示でこのことは繰り返し説かれてをり、雅存先生御自身も右の神示の解説でかう書かれてゐる。 ところで、大東亜戦争が「迷ひ」と「迷ひ」の衝突であつだのなら、当然日本車も「迷ひ」の軍隊だったことになり、あの戦争は間違つてゐたといふことになるのだらうか。こんなことを言ふのは、他でもない。現に生長の家副総裁が右の神示を盾に取り、大東亜戦争を「迷い」と見なした上でかう断じてゐるからである。「迷い」であることが自覚されたならば、『あれは誤りであり、間違いであった』と否定することに躊躇してはならない」と。(ネットワーク考12、谷口雅宣「再び大東亜戦争を考える」、『理想世界』誌平成四年三月号) しかし、さやうな解釈が成り立たないことは、昭和八年一月六日に天降った「梅の花の神示」を見れば直ちに明らかとなる。 「無明の自壊作用がないのに光明遍満の楽土が来るなどと甘いことを思ふな。(中略)ヒノモトの軍が厳かに進行のは、無明の世界を照らす唯一の光が進むのである。(中略)世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。」(「秘められたる神示」四〇〜四一頁) この神示をよく見よ。「ヒノモトの軍」の進軍は「、無明の世界を照らす唯一の光が進むのである」と説かれてゐる。雅宣氏は大東亜戦争を「迷い」と見、これを全否定するが、神示は「無明の自壊作用」としての戦争を、実相の地上顕現のための不可避の過程と見、「ヒノモトの軍」を「無明」を照らす「唯一の光」と見てゐる。全然逆ではないか。戦争を、雅宣氏の言ふやうに単なる「迷い」と取るのは、誤りである。「迷い」ではない、「迷いの自壊作用」なのである。 但し、ここでいふ「ヒノモトの軍」とは、現象に現れた日本軍のことではない。実相としての「日本軍」のことである。この点を、雅春先生御自身は次のやうに説明されてゐる。 即ち、満州事変から始まつた日本の戦争は、「実相実現の内部的動力」「摂理としての内部的動力」が働いて、現象界に「迷ひの自壊作用」としての戦争を惹き起したと見ることができる。つまり大東亜戦争は、一方の「迷ひ」(日本軍)と他方の「迷ひ」(米英軍)が現象界で衝突したものであるが、その背後には、「無明の世界を照らす唯一の光」としての「内部的動力」があり、これこそが「日本軍」即ち大東亜戦争の実相だったのである。これは筆者の独断的解釈などではなく、雅春先生御自身のお考へである。 |