三、神示に示された満州事変の本質
大東亜戦争以前に雅春先生に天降った神示は、全部で二十九篇に上つてをり、その悉くが生長の家立教直後の三年間の時期(昭和五年十一月四日〜昭和八年九月十五日)に集中してゐる。
今、この時期に天降った全ての神示(但し「児童教育に関する神示」だけは日付不明なので省略)と、時局問題との関はりを年表で対照させてみたいが、煩を厭はずかういふことをするのは外でもない、「神示は、超越界の絶対真理を説かれながらも、同時に、時局の重大関心事についても親しく言及されている」(『生長の家四十年史』一五〇頁)からである。(戦時局に言及のある神示と、神示に関はる諸事件はゴチックで示す。)
以上、戦前の全ての神示をかうして並べて見ると、満州事変の前後に集中してゐることに、改めて驚かされるのである。その理由は審(つまび)らかにしないが、「これらの神示が谷口雅春先生につぎつぎと天降ることによつて、生長の家の教義の根本が確立されると共に、生長の家出現の使命が明らかにされたのである。従って生長の家の教へは、谷口先生に啓示された『神示』がもとになってをり、人類光明化運動のあり方についても、同様のことが言へる」(『生長の家五十年史』二五〇頁)といふことは、誰しも異存のないところであらう。
次に、ゴチックで先に示した神示と現実の諸事件との対応関係(年表の@〜Eを参照)について、年表だけではよく解らない部分もあるので、以ドにまとめて示してみよう。前号で紹介しきれなかった神示については、ここでその本文も併せて紹介しておきたい。 @”心の法則”と”平和への道″の神示(昭和六年五月)
「迷ひの自壊作用」としての戦争が、英米支との間に起ることを予告し、人間界の協力を求めた神示。この四ヵ月後に満州事変が勃発した。(この神示は、前号に紹介済み)
A声字即実相の神示(昭和七年一月)
日支の戦ひは序幕であって、もっと烈しいことが今後起るが、恐れることはないといふ予告の神示。その直後に第一次上海事変が勃発した。(同前)
B自他一体の神示(昭和七年二月)
今度の戦ひの本質は、共産主義との戦ひであることを暗示した神示。その二ヵ月後にコミンテルンの「三二年テーゼ」が出されてゐる(これについては後述する)。
「今度の戦ひは国民の魂の質から言へば知恩と忘恩との戦ひ、『結ぶ』働きと、バラバラに分離する働きとの戦ひである。バラバラに分離する働きは結局自滅して『結ぶ働き』が世界を統一する。」 (『到彼岸の神示』所収、一一○頁)
C久遠天上理想国実現の神示(昭和七年五月)
中心の無い国際連盟では世界は一つにならない、統一には中心が必要であり、その中心とは「光の本(ひのもと)」であるとする神示。五ヶ月後、国際連盟は日本「侵略」を非難するリットン報告書を発表した。
「今の国際連盟を見るが好い、中心が無しにいつまで論争(ことあげ)して見たところで、善きことは生まれぬ。論争したすべての国が一つの中心にあつまりて、統一せられねば全世界は一つの『家』にならぬのである。(中略)その中心を『光の本(ひのもと)』と言うのである。日本(ひのもと)は光(ひ)の中心(もと)である。(中略)十字架の中心は日の本にありキリストの本地も日本(ひのもと)にある。十字架の放射光線が皇統連綿の国であると云ふことが何人にも判って来なければ此の世は治らぬ。」 (『秘められたる神示』所収、一五一〜一五三頁)
D実相金剛身の神示(昭和七年九月)
実相世界には「唯ひとりの君」の知しめす「日の本(ひのもと)」 或いは「高天原国(たかあまはら)」と名付けられた、一つの国しかなく、それが現象世界に実現するまでは「迷ひの自壊作用」としての戦争は避けられぬとする神示。尚、第一次上海事変への言及あり。
「実相世界にはただ一つの国があるだけである。その国は日の本(ひのもと)と名付けられ、また高天原国(たかあまはら)と名附けられてゐる。唯ひとりの君がいまして高天原国を治しめしてゐる。(中略)各国相対立して相争ひ、悪念病念相争ひて修羅場を演じてゐるが、そんな対立は実相世界には現に存在しないのである。(中略)しかしこれが実現する迄には迷ひの自壊作用として暫く惨憺たる破壊の場面が演じられなければならぬ。早く真理を悟ったものは迷ひの自壊作用から免れて破壊の場面の中にも実相世界を映して破壊の中に巻込まれずに済むのである。上海の戦ひにその実例が示してある。」 (同右、七二〜七三頁)
E梅の花の神示(昭和八年一月)
「無明の自壊作用がないのに光明遍満の楽土が来るなどと甘いことを思ふな」といふ警告の神示。「世界を物で支配する」共産主義運動との衝突を予告し、この 一ヵ月後、日本は国際連盟を脱退した。(一部は前号に紹介済み。後半部分を以下に紹介する。
「スターリンなど、無明の塊の人物を中心として世界が幸福になれると思ふものは愚か者である。世界を一つに統一する運動に二つある。一つは露西亜(ロシア)から始まってゐる運動で、世界を物で支配する運動である。もう一つは霊の本から始まってゐる運動で、世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である。この二つの運動の衝突は避けられぬ。(中略)本当の愛は甘えかす愛ではない。戦ひの愛である。」 (同右、四一頁)
このやうに、神示は英米支との戦ひだけでなく、共産主義との戦ひが不可避であるとも教へてゐる。BとEの神示がそれで、具体的にスターリンの名前まで挙がってゐることに驚かされるが、Bの神示の直後に日本共産党に与へられた「三二年テーゼ」を作成したのは、正にスターリンであった。これについては、雅春先生もかう解説してをられる。
「これは大東亜戦争前からズッと続いて今も現に継続してゐるところの、天皇や、国家や、祖先や両親に対する恩を知る者−一言にして言へば愛国者−と…所謂る『赤い思想』の者との戦ひのことを指してゐられるのであります。『国家』といふ綜合されて有機的に一体となってゐる『生命体』の尊厳をみとめず、『人民』といふ個々別々のものを主権者とする思想が、国家を『バラバラに分離する働き』なのであります。皇恩、国恩、父母の恩等に反対するマルクス主義の攻勢とそれに対抗する日本国内の思想戦争は既に大正年間に始まつてゐたのでありまして、(中略)当時の軍閥の中にも、社会主義革命遂行の前哨戦的手段としで戦争を煽動してゐた者もあつたのは事実で、日本が戦争に負けた一つの原因も、そのやうな背信行為に裏をかかれて戦争すべからざる時期に戦争したことにあります。」 (『到彼岸の神示』三一頁〜三六頁)
ところで、神示の中には、日本の戦争を「侵略」として非難するやうな箇所は、一つもない。「侵略」と非難したのは、国際連盟のリットン報告書(昭和七年十月)である。「侵略者」呼ばはりされた日本は、翌昭和八年三月には国際連盟を脱退することになるが、ちょうどその頃(昭和八年春)に書かれた雅春先生の御文章があるので、ここで紹介しておきたい。
「『生長の家』は一切包容の『家』であり、一切を生して他の宗派と対立するものでないのに、みだりに対立視し敵視する。その状(さま)恰も大日本国が全世界包容の救世的使命ある国なるにも拘らず、全世界各国はその真理に目覚めず、日本を侵略国と見倣してゐるのと不思議に符節を合す如くである。」 (『明窓浄机』草創篇、八五頁)
雅春先生の、かういふ「侵略」といふ用語の使ひ方は、戦後も一貫して変つてゐない。以下は昭和五十七年、例の教科書誤報事件の起つた年に書かれた、武藤貞一氏と共同執事の御文章であるが、その表題は正に「日本は侵略国ではない」である。日本を「侵略国」と貶めて已まない生長の家副総裁は、かういふ文章を果して真面目に読んでゐるのだらうか。
「現在、共産中国が東北地区として領土に編入している旧満州について、中国はしきりに『日本の侵略』をわめき立てている。(中略)満州国出現後、これをもって日本に『侵略』の熔印を捺したものは国際連盟のリットン報告である。日本人にとって屈辱極まりないこの文書にさえ、その中には、日本の苦心努力によって満州が開発されたこと、日本軍によってよく治安が保持されて来たことだけはいみじくも明記しているのである。歴史は、経緯を抜きにして論断すべきものではない。今日、中国は至極簡単に、日本が中国の東北地域[満州]を侵略したといっているが、それがいかに事実に即せざる妄断であるかは、以上の記述によっても明らかであろう。」 (『動向』昭和五十七年十一月号)
満州事変に始まつた日本の戦争は、「侵略」などでは断じてない。人類の「迷ひの自壊作用」として、人類進化のためには不可避の戦ひだつたのである。このことは、幾多の神示の明示するところである。
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