平成15年11月号

 大東亜戦争と谷口雅春先生 (3)

支那事変と雅春先生

   ──「侵略」の定義をめぐつて


広岡勝次氏論文

 広岡勝次氏はこの回の論文で、「侵略」に関して世界中が認める普遍的な定義は、建前としてはともかく、現実には存在しないことを、国際法専門家の著書より明らかにされています。
  雅春先生はごく一般的な日本語の語感で、「他国に『侵』入し、『略』奪を働くといった否定的な意味合いを含む『侵略』はしていない。」と仰っており、支那事変への日本軍派遣は自衛・膺懲のためのものであり「侵略」ではないと戦前・戦後を通じて一貫して言っておられます。
  それに対し雅宣氏は国際法の用語(「他国に対して自らが武力攻撃を仕掛け、または海上封鎖などの戦争類似行為をすること」、或いは「ある国がその国際的義務に違反して武力を行使すること」)を使って「日本は侵略戦争をした。」と述べているが、この国際法によるという事は、先の様に世界中が認める普遍的な定義は現実には存在しないものである以上、ある国の、又は、日本を貶めようとする人達の主張を無批判に取り入れて言っているにすぎないものである事を、鋭く指摘してあります。



四、支那事変と雅春先生

       ──「侵略」の定義をめぐつて

 満州事変は、昭和八年五月の塘沽(タンクー)停戦協定により一応の終結を見、支那との間にも暫くは平穏が保たれてゐたが、昭和十二年七月、盧溝橋事件が勃発し、その背後にはコミンテルンの策動もあって、日本は支那との間で全面戦争に突入することを余儀なくされた。

  当時の雅春先生は、支那事変について次のやうに書かれてゐる。
  「昭和十二年七月十一日、蘆溝橋事件に於て三度支那側が停戦協定の約束を破って日本軍を砲撃せるに端を発し、愈々近衛内閣は廟議をひらいて支那を膺懲(ようちょう)することに決したと云ふ号外が街を賑はした。(中略)迷ひの崩壊過程として─世界秩序の完成のために光明思想は戦争を否定しないのである。(中略)見せかけの秩序は暫定の秩序であるから、やがてより─一層安定なる秩序にまで落付くために幾度でも地震のやうに震り直しをしなければならない。その震り直しが戦争である。世界平和は、より一層安定なる秩序を求めて、最も安定したる秩序──実在の秩序、真理の秩序に到達するまで、震り直しを続けるのである。」 (日本新体制版『驀進日本の心と力』九一〜九三頁)

  かく、雅春先生は光明思想が「戦争を否定しない」ことを明言された上で、「震り直し」としての戦争の不可避を直視されてゐた。支那事変そのものに対しても、これは「侵略」ではないことを、やはり当時書かれた文章の中で、次のやうに断言してをられる。
  「日本は世界を侵略するのではないのです。日本はヒノモトであって全世界に光を吹き込む本の国なのであります。(中略)日本が今支那へ出兵してゐるのも其の働きでありまして、軍閥の朔風に当って冷たく冷えてゐる支那民族を温め包んで一層生かしてやるために出兵してゐるのであつて、決してそれは侵略ではないのであります。」 (『人生必ず勝つ』 一三七頁)

 かやうに雅春先生は、支那事変は「侵略」ではないと、当初から明言してをられる。ところが、現生長の家教団副総裁の谷口雅宣氏は、「日本は中国を侵略した」として、次のやうに説くのである。
  「私が『日本は中国を侵略した』と言うときは、『日本は、中国人の意思に反して中国大陸の中国人に武力攻撃をしかけた』ということであり、(中略)現象界では、原因・結果の法則が支配しているから、『日本車の中国侵略』そして『日本軍の真珠湾攻撃』という事実があったから大東亜戦争が始まった、ということになる。(ネットワーク考11、谷口雅宣「再び大東亜戦争を考える」、『理想世界』平成四年三月号、六八頁) 同じ支那事変をめぐつて、雅春先生は「侵略」ではないと言ひ、雅宣氏は「侵略」だと主張してゐる。一体、どちらが正しいのだらうか。しかし、この全く相反するかに見える両者の見解も、単純に比較は出来ないのである。といふのは、同じ用語を用ゐてゐても「侵略」の意味するところが、雅春先生と雅宣氏とでは異なってゐるからである。以下、多少面倒な理屈を述べることになるが、辛抱して暫くお付き合ひいただきたい。

  雅春先生の場合、「侵略」といふ言葉は、ごく一般的な日本語の語感で用ゐられてをり、我々が「侵略」といふ言葉に対して抱く普通のイメージ、即ち武力を以て他国に「侵」入し、「略」奪を働くといった否定的な意味合ひが、そこには含まれてゐる

  これに対し、雅宣氏の場合は「侵略」といふ用語を、一般的な意味合ひとしてではなく、国際法上の用語として用ゐてゐる。その定義によれば、「侵略」とは「他国に対して自らが武力攻撃を仕掛け、または海上封鎖などの戦争類似行為をすること」、或いは「ある国がその国際的義務に違反して武力を行使すること」である(ネットワーク考8、谷口雅宣「侵略か解放か?」、『理想世界』平成三年十二月号、六七頁)。また、かういふ「侵略」といふ用語の使ひ方は、「国際法や国際政治の場で世界的に認められて使われている用法」で、「それ以上でもそれ以下でもない」と念を押してゐるから(前掲「再び大東亜戦争を考える」六八頁)で否定的意味合ひを含まない純粋な法律用語であることを強調したいのだらう。

  雅宣氏は、右の一連の論考の中で、一般的な「侵略」の語義に従ふことは斥け、「『感情』の問題と、国際法上の『侵略』をしたか否かの問題とは全く別である」(同前)と言ふのであるが、雅春先生が日本の「侵略」を否定されたことも、単なる「『感情』の問題」として片付けて果してよいのだらうか。雅宣氏の言に、甚だ釈然としないものを覚えたのは、筆者だけだらうか。

  国際法の専門家の著書を繙(ひもと)いてみると、そこには次のやうに書かれてゐる。「第二次大戦後、勝利者たる連合国側は、『侵略』の定義を明確にしないまま、東京裁判を通じ日本を侵略国と断定し、現行国際法を逸脱して『侵略』イコール『国際犯罪』と事後法的に決定して、日本の戦時指導者を断罪した。」(佐藤和男『憲法第九条・侵略戦争・東京裁判』五三頁)

  これは、恐らく雅宣氏もご存知だらう。何故、東京裁判は「侵略」の定義を明確にしなかつたかといへば、当時「国際社会により一般的に承認された『侵略の定義』は存在を見るにいたらず、また『侵略』を確認すべき権限を正式に付与された国際機関もなく、各国の自己解釈権のみが認められているというのが、第二次世界大戦以前の冷厳な国際法的状況であった」(同右、五七頁)からである。従って、「しなかった」のではなく、実際には「出来なかった」といふのが正しい。

 旧連合国の後身たる国連は、戦後も相当の時日が経過してから漸く「侵略」の定義を決議してゐるのであるが、それならその「定義」もなかつた時代に、「侵略国」として一方的に裁かれた日本の立場はどうなるのか。アメリカの歴史学者マイニアは、「われわれ[連合国]は、侵略が何であるかわからないのに、ドイツと日本が侵略をなしたことはわかっていたことになる」(『勝者の裁判』七八頁)と、痛烈にこれを皮肉つてゐるが、”日本は「侵略国」ではない”とは、国際法の原則を無視した、さういふ逆立ちした勝者の理不尽な論理には断じて服さない、といふ雅春先生の決意の表れでもあった筈である。その一角が、生長の家副総裁によって崩されてしまった。

  雅宣氏の言ふ「侵略」の定義は、恐らく一九七四年の「侵略の定義」に関する国連の総会決議に拠ったものであらうが、再び先の国際法学者の言を引用すれば、現在でも「各国政府は『侵略』概念を、他国を誹膀し、自国民の前で自己の政策の正当性を強調する目的のために濫用しているといったほうが真実に近い」(佐藤前掲書、六四頁)のである。これは、不当な「侵略」の濡れ衣を着せて日本を裁いた東京裁判の時代から、国際社会は一歩も進歩してゐないことを意味する。

  つまり、何のことはない、自分の「侵略」の定義は「国際法や国際政治の場で世界的に認められ使われている用法」だと胸を張る雅宣氏の言ひ分は、勝者である旧連合国側の論理の尻馬に乗って、現実には「建前」としてしか機能してゐない「侵略の定義」に関する国連決議の”提灯持ち”をしてゐるに過ぎないのである。

  これを普遍的なものだと思ひ込んでゐる雅宣氏は、実はとんだ思ひ違ひをしてゐることに気づいてゐない。例へば、氏は如上の定義に基づいて、「真珠湾攻撃は日本の侵略行為だ」と断定してゐるが(前掲「再び大東亜戦争を考える」六八頁)、戦時国際法の泰斗(たいと)・信夫(しのぶ)淳平博士の見解はこれとは全く逆で、日本車の真珠湾攻撃は自衛権の正当な行使だと解釈してゐる。

  この一例でも判る通り、最近になってやっとこさ拵(こしら)へた国連決議の「侵略」の定義なるものでは、日本の国際法の大家一人納得せしめ得ないのである。こんな定義でもう一度、日本は「侵略国」だったと断定されたのでは、たまったものではない。

  かくの如く、「侵略」に関して世界中が認める普遍的な定義は、建前としてはともかく、現実には存在しない以上、現在でも「世間一般では侵略なる常識的な使い方といわれるものが幅をきかしている」(佐藤前掲書、六四頁)のは、充分な理由があるのである。

  事情かくの如くである以上、雅宣氏がいくら国連の定義を持ち出して、国際法の見地から言へば、日本は「侵略」したと言はざるを得ないのだと信徒を説き伏せようとしたところで、それは無理といふものである。「連合国の論理でいけば、あれはやはり『侵略』なのだから、もうそろそろ生長の家も旧連合国(国連)の軍門に降り、『侵略』と認めよう」、「連合国が日本を理不尽に裁いた『東京裁判史観』に、生長の家も屈服しよう」と言ってゐるに等しいからだ。

  ”日本は「侵略国」ではない”との雅春先生のみ教へを、今もいただいてゐる信徒の、誰がそんな説得に応じるものか。説得に応じない、頑固な信徒が悪いのではない、旧連合国に白旗を上げ、いい気になってその”提灯持ち”になり下がり、「侵略」を認めてしまった雅宣氏の方が間違ってゐるのである。

 再び言ふが、雅春先生は草葉の蔭で泣いてをられるに違ひない。「侵略」を否定することでは、雅春先生は戦前も戦後も常に一貫してをられたからである。
  「草薙の神剣をもって象徴さるゝ皇軍は未だ嘗て侵略の戦争をしたことがないのである。」 (『驀進日本の心と力』八二頁)
  「日本国を”侵略国”と誣いる者は何者ぞ。去れ!!日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。」(『聖なる理想・国家・国民』十五頁)

五、「ヒノモトの軍」の実相は「蛮行」に非ず

 かく言へばとて、現実の日本軍に少しも瑕疵はなかつたといへば、さうではない。戦争中、皇軍に相応しからざる行為が種々あったことは事実であり、それは認めて雅春先生も次のやうに嘆いてをられる。
 「最近マッカーサー司令部では、日本兵の惨虐行為に関し戦争犯罪容疑者の発表がありましたが、あんな惨虐行為は本当の日本人の心ではない。それは、軍の戦争指導精神が『敵を憎め』『敵愾心を起せ』であったから、その精神があらわれて残虐行為をしたのであります。」( 『大和の国日本』六二頁)

  GHQでは、日本人に戦争贖罪意識を植ゑつけるための情報宣伝計画(ウォーギルト・インフォメーション・ブログラム)の一環として、「太平洋戦争史」を新聞に一斉に掲載させ、その中で南京やマニラにおける「日本兵の惨虐行為」なるものを頻りに暴き立て、また戦時中の各界の指導者を「戦争犯罪容疑者」として次々に逮捕したが、右の指摘はそのことを指してゐる。

  当時の大多数の日本人は、それが日本人に戦争贖罪意識を植ゑつけるための、占領軍が周到に準備した情報宣伝(東京裁判も同様)であるとは露知らず、それをそのまま鵜呑みにした結果、日本を「侵略国」と思ひ込み、「南京大虐殺」なるものが実際にあつたと信ずるやうになつたのである。

  現に今日においても、歴史教科書の多くは支那事変を日本の中国「侵略」と書き、「南京大虐殺」では何十万人もの中国人を殺害したと強調してゐる。そこで、その教科書によって歴史を習った生長の家副総裁なども、頭からそれを信じて「中国侵略時代の蛮行」(前掲「再び大東亜戦争を考える」六六頁)などと平気で書き立ててゐるのであらうが、日本軍は果してそんなにひどい軍隊だつたのか。

  一部にはさういふ不心得者もゐたことは事実だらうが、「ヒノモトの軍」の実相と、さういふ現象に現はれた「迷ひ」としての日本軍とを混同すべきではない。

 「”迷い”であることが自覚されたならば、『あれは誤りであり、間違いだった』と否定することに躊躇してはならない」(同右)等と言つて、日本国の実相顕現のためには不可避であった「ヒノモトの軍」まで否定してしまってはならないのである。
 




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