平成16年4月号

 大東亜戦争と谷口雅春先生 (8) (最終回)

「摂理」から見た大東亜戦争


広岡勝次氏論文

  雅宣氏は、大東亜戦争を「侵略戦争」であり、「神の目から見れば…してはならない間違った戦争をした」のであると言っています。
 しかし、戦争は「迷い」であるから間違っているとするのは間違いで、 「『迷ひ』と『迷ひ』とが衝突して消えるための自壊作用」であると神示には示されています。さらに、「迷い」を消す働きをするのが「ヒノモトの軍」であり「光の進軍」であると示されており、有色民族の独立を実現する解放戦、大東亜民族の解放戦は、「摂理」からの起るべきして起った戦争であると示されています。
  雅宣氏の一面観、又は、確信犯的に日本を貶めようとする観点からの「侵略戦争」というレッテル貼りは、正に「為にする論」であるとする他はありません。
  広岡勝次氏は広く深い研究と丹念な論述で、雅春先生の大東亜戦争への考察を書いてこられました。感謝致します。



十、「摂理」から見た大東亜戦争

 生長の家教団副総裁の谷口雅宣氏が、大東亜戦争は「侵略戦争」だったといふ見解を『理想世界』誌上で公にし、物議を醸して信者との論争に発展したのは、平成三、四年のことだった。早いものであれからもう十年以上になるが、その後副総裁の著作に一連の論争が収められた形跡はない。さては形勢不利と見て「侵略」説は撤回したかと思ひきや、さうではなかった。
  前にも少し紹介したが、昨年七月に刊行された副総裁の『信仰による平和の道』を見ると、清超先生の御文章を引用しつつ、「そういうわけですから、生長の家は日本で『大東唖戦争』と呼んでいた戦争を、”正しい戦争”とは考えていないのであります」(一○四百)と依然として主張してゐる。そればかりか、同書の中では「生長の家は宗教であり、政治思想やイデオロギーではないので、”焚書坑儒”みたいなことはしません」(一一二頁)と述べながら、実際には雅春先生の愛国書の相次ぐ出版中止、教団内の愛国者の左遷追放と、”焚書坑儒”を地で行ってゐるのだから又何をか言はん。かういふ情勢に鑑み、初代総裁谷口雅春先生の大東亜戦争に対するお考へを、史実に即して明らかにしておく必要性を痛感したところからこの連載は始まった。
  連載も最終回を迎へるので、今回は単刀直人に結論から述べたい。戦後のごく例外的な一時期を除けば、戦前・戦後を通じ、雅春先生は日本の「侵略」を一貫して否定され、大東亜戦争を「聖戦」として肯定されてゐた。これが、雅春先生の大抵の書物には目を通した上での筆者の結論である。するとどういふことになるか。副総裁の「侵略」説は、占領下の過酷な一言論統制下で雅春先生と雖も影響を免れなかった一時期の「侵略」容認・「聖戦」否定論の檎(とりこ)となり、それを否定・克服して戦前の「侵略」否定・「聖戦」肯定論に回帰された雅春先生の全生涯にわたる思想の歩みには頬被りする、正に”木を見て森を見ず”式の夜郎自大の戦争観に陥つてゐると言はざるを得ないのである。

 最初に、副総截の次のやうな発言を手掛かりに、もう一度これまでのお浚ひをしておかう。

 「『戦争は迷いと迷いとの衝突である』という生長の家の教えは、また、神の目から見れば、日本もアメリカも『してはならない間違った戦争をした』ということである。」(谷口雅宣「再び大束亜戦争を考える」、「理想世界」平成四年三月、六七、六八頁)
  「戦争は迷いと迷いとの衝突である」といふのは、その通りである。「声字即実相の神示」にも、 「神が戦ひをさせてゐるのではない。迷ひと迷ひと相博つて自壊するのだ」 (『到彼岸の神示』一二四頁)とあり、雅春先生の右神示の解説にも、 「大東亜戦争も『迷ひ』と『迷ひ』とが衝突して消えるための自壊作用であった」 (同、一三八頁)とある。

  だが、その後がいけない。副総裁は「戦争は迷い」故に、「神の目から見れば…してはならない間違った戦争をした」と言ふのだが、さうではない。ここには真理の重大な取り違へがある。意図的すり替へではないことを信じたいが、戦争は単なる「迷い」ではない、 「『迷ひ』と『迷ひ』とが衝突して消えるための自壊作用」 なのである。これなくして、地上に実相は顕現しない。このことは「梅の花の神示」に、 「無明の自壊作用がないのに光明遍満の楽土が来るなどと甘いことを思ふな。(中略)本当の愛は甘えかす愛ではない。戦ひの愛である」 (『秘められたる神示』四○〜四一頁)とあるのによっても明らかである。従って、副総裁ならぬ本当の”神の目”から見れば、「してはならない間違った戦争をした」といふことにはならぬのである(これについては後述する)。

 その前に、もう一つ副総裁の言を引用しておかう。「戦争を考える時も…自らの過ちを懺悔するところから、当事者問の真の調和(平和)が来るのである。日本の中国派兵を『侵略』と認め、真珠湾攻撃を『侵略』と認めて懺悔することは、従って宗教的な意味からいっても…”大変当を得ない”行為では決してないのである。」(前掲「再び大東亜戦争を考える」六七頁)
  日本は「してはならない間違った戦争」をしたのだから、「過ち」を「懺悔」する意味で「侵略」と認めて「懺悔」することが「平和」への道だと説くのだが、「過ち」でもないものを「過ち」と認めて「懺悔」することは、却って徒(いたずら)な卑屈を生み、日本人を道義的・宗教的頽廃へと導くのである。大東亜戦争は「間違った戦争」でも「侵略」でもない。雅春先生の以下のお言葉は、副総裁にこそ”お誂(あつら)へ向き”と言ふべきだ。

 「大東亜戦争なんかも、ただ一概にあれは悪い悪いと言ふ人がありますけれども、あの戦争は歴史的流れに於て、アジアに対する白人帝国主義の侵略に対するアジヤ民族の抵抗のあらはれとして起るべくして起つたのであり、(中略)起るべくして起つてゐるものを、日本民族の侵略だと言ふのは間違なのであります。」 (「神ひとに語り給ふ」二九三〜二九四頁)

 以上、副総裁の「侵略」説の誤謬を再確認した。では、”神の目”から見ると大東亜戦争とは”体何だつたのか。「摂理としてあらはれた地上天国実現の聖戦が、彼の大東亜戦争であった」(『碧巌録解釈』前篇、二一一頁)と雅春先生は言はれたが、この宗教的真理について、”神の言葉”を以てもう少し敷衍(ふえん)しておきたい。
  『神 真理を告げ給う』といふ書物がある。本書はその「はしがき」にあるやうに、昭和四十七年春の北米御巡錫の旅に先立ち、雅春先生が「暁方に目覚めたときに夢うつつの如き心境に於いて、神がわたしに真理を、”かく語れ”というかのような意味の声を聞いた」、その「言葉を記憶によって再現して、それを文章に表現したもの」で、「文中”わたし”とあるのは”神”御自身のことであって谷口のことではない」と明記されてゐる。従って、ここにあるのは「神示」そのものではないが、神ご自身の言葉と言ってよい。

  ここには戦争の原因が、次のやうに説かれてゐる。
 「戦争は、ひとりひとりの自己処罰では足りない時に、集団的自己処罰として起る場合と、高級霊が”自己”を滅して”公け”に殉ずるところの自己犠牲の行為を通して、普通の生活状態では到底達し得ない急速度の霊魂の浄化を得んがために起る場合とがあるが、大抵はその二つの原因が重複して起るのである。従って戦争には”低い霊魂”が互いに処罰し合う極めて残虐な悲惨な所業が各所で行われるのであるが、また他方には純潔な高級霊が、理想のために、”公け”のために、自己を犠牲にして『私』を顧みない崇高な精神の発露が行われるのである。前者の残虐な悲惨な面だけを説く人もあるが、高潔崇高な自己犠牲の行為を行う”場”として戦場が選ばれたということを看過すのは片手落である。」 (『神 真理を告げ綸う』六四〜六五頁)

 このやうに、戦争には”低級霊”による「集団的自己処罰」、即ち「迷ひの自壊作用」によって起る場合と、”高級霊”による「霊魂の浄化」、即ち「自己犠牲」による霊魂進化の一過程として起る場合があり、大抵はその両方の原因が重複して起る。大東亜戦争も正にさうであったことが、次のやうに示されてゐる。

 「第二次世界大戦に於いて、多くの自己処罰も行われたが、多くの”滅私奉公”の尊い犠牲精神で神去りまして高級天体へ移行した夥しい霊魂もあるのである。戦争はこうして人為と摂理と、両方面から起るのであるから、人間がいくら努力し、警戒して、平和論をとなえても無くなるものではないのである。
 大東亜戦争は一方に於いては”高級霊”が最後の滅私奉公の行動を通して、急激に霊魂の地上進化の最後の課程を了えて他の高級天体に移住する契機をつくったのである。」 (同前、六五頁)

 これが、。神の目”から見た大東亜戦争の真実である。神は副総裁のやうに、「自らの過ちを懺悔」せよ、さすれば「平和」が来るとは言はれない。全く逆に、戦争は「人為と摂理と、両方面から起る」のだから、人間が幾ら努力しても無くならない、と断言されてゐる。これは驚くべき言葉で、副総裁への”頂門の一針”といふべきではないか。戦争は、”高級霊”に「自己犠牲」の場を提供するといふ「摂理」(神の計らひ)によっても起るのだから、大車亜戦争を「してはならない間違った戦争」などと言ふ資格は、副総裁にはないのである。ここでいふ”高級霊”が、特攻隊をはじめとする英霊を指すことは、言ふまでもないだらう。
  雅春先生がかゝる英霊をどんなに高く評価されてゐたかといふことは、終戦直後の文章を見れば直ちに明らかとなる。(傍線は引用者、【 】内は原文にはない。)

 「日本の国難をすくはんとして、献身を行じた特攻隊その他の兵士たちを、全て一概に侵略に協力したもの…として攻撃する人もあるけれども、その人々の功罪は『結果』ばかりによって論ずべきではないのである。(中略)戦争の動機はどうあらうとも【過ちは過ちとして深く懺悔しつつも】一粒の麦になって同胞愛のために生命を捨てんと挺身した兵隊たちを、十字架にかヽつたキリストのやうに傷ましくも仰ぎ見るのである。」 (「復員の同胞を迎へて」、『生長の家』昭和二十一年七月号、十六、十九頁)

 右の文章は占領軍の事後検閲により、傍線部分が「軍国主義的」( militaristic )といふ理由で「不許可」( DISAPPROVED )にされた。しかし、「新生の書」(昭和二十六年九月刊)に収められた右文章の改訂稿「帰還同胞を迎へて」を見ると、傍線部分は一字たりとも修正されてはゐない。右引用文中、改訂稿で修正されたのはただIヵ所、【 】内の「過ちは過ちとして深く懺悔しっゝも」といふ加筆された箇所である(『新生の書』三九、四三頁、『大和の国日本』 一四二、一四七頁)。

 ここに何を見るか。第一に筆者は、「日本の国難をすくはんとして、献身を行じた特攻隊」に対する、雅春先生の限りなき畏敬の念を見る。占領軍によって「不許可」にされた表現を、敢へてそのまま残されたところにそれを見る。と同時に、占領政策に対する雅春先生の無言の抵抗をもそこに見る。だが第二に、一方では占領政策への配慮をも見る。「過ちは過ちとして深く懺悔しっゝも」といふ挿入句を、検閲後にわざわざ加筆されたのは、さうした配慮でなくて何であらう。しかし大事なことは、さうした配慮はされつゝも「同胞愛のために生命捨てんと挺身した兵隊たち」を、雅春先生は終始讃仰して已まなかつたといふことだ。
  翻って今日の生長の家副総裁谷口雅宣氏はどうか。第一に英霊の自己犠牲の行為など、端(はな)から眼中にはない。第二に言へることは、そこにあるのは唯、日本は「してはならない間違った戦争をした」、その「過ち」を認めて「懺悔」せよと、占領軍も顔負けの言ひ草ばかりだといふことだ。雅春先生が守らんとしたものは綺麗に忘れ去る一方で、占領軍への配慮から容認されたに過ぎないものを後生大事に守つてゐる。氏は生長の家の。後継者”を以て任じてゐるらしいが、このやうなことでどうして”法統を継承″したと言へようか。

 さて、もう紙数も尽きたやうである。『神 真理を告げ給う』から、「摂理」について書かれた驚くべき文章をもう少し引用して、この連載を締め括りたい。

 「地上で果すべき最後の課程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還することはない。その卒業移住と引き替えに、他の、地球よりも、もっと低い階級の天体に住んでいた未発達の多くの霊魂が、恰も中学卒業の子供が高校へ入学して来るように、地球に移住して来たのである。それが戦後に生まれて来た人たちの霊魂である。(中略)けれども彼らはやがて地球という梢々(やや)上級天体の生活法に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時が来るのである。世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。」 (『神 真理を告げ給う』六五〜六六頁)

 最近の世情と照し思ひ当る節も多いが、小生とて所詮は戦後の生れ、”稍々上級”の天体に生れ合せたことに感謝しつヽ、雅春先生の御蹟に倣ひて、お互ひ愛を行じいきたいものである。
 




大東亜戦争と谷口雅春先生

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